まちの教室KLASS「積読本をひらく読書会」で考えたこと

言葉は意図して使えば自分を動かす力になるけど、油断するとがんじがらめの原因にもなる。「積読」という言葉を、ほっけの干物並みにほろほろほぐした読書会の話。

 

 

冷蔵庫に食べものが入っている。買った理由はさまざまだ。体によいと聞いたから。食わず嫌いを克服しようと決めたから。新作が出ると試すから。慣れ親しんだ味だから。旬だから。安くてお得に見えたから。がんばったごほうびにしようとか、好きだけどやめなくちゃ、これで最後にしようとか。

食べものは、じきに食べられる。あとまわしになったものは、消費期限や腐敗を目印に捨てられる。いずれにせよ、入ってきたものは出ていく。

本棚には本がある。こちらも買った理由はさまざまだ。不運にも冷蔵庫の食べものと違うのは、読まずにいた本がなくならず、増えていくことだ。多くの人にとって、「読んでいないこと自体」の後ろめたさが、部屋と頭に影を落とす。腐らないから、本は週末にでもまた増える。後ろめたさも膨らむ。

幸運にも冷蔵庫の食べものと違うのは、増え続けるからこそ、「買った理由」と「読まない理由」がそれぞれの本に残り、時間をかけて発酵し、物語に変わりうることだ。「買った理由」「読まない理由」は、自分や他者の世界にふれようとする手段になる。そう教えてくれる場所があった。

 

本を読んで来ない読書会

3月下旬、桜満開の陽気、東京 千駄木、まちの教室KLASS。設計事務所HAGI STUDIOが「地元の人を先生に」とつくったイベントスペースで、「積読本をひらく読書会」が開催された。読書会といっても、本を読んで来なくていいし(むしろ読んで来ちゃだめ)、集まった人たちで読み始めるわけでもない。やや奇妙にも聞こえるが、「読んでない本について、読んでない人たちと話す」場である。

参加者は3名。「積読びらき」の手順は次のとおり:

1 自己紹介。名前、住んでいるところ、「今朝、何を見ながらこの場所へ来たか」
2 持ってきた「自分の積読本」を隣の人に渡す。もう一方の隣の人から本を受けとる。
3 手にした「隣の人の積読本」を触る、眺める、観察する、読む、メモする。
4 「自分の積読本」について、「買った理由」と「読んでない理由」を話す。
5 隣の人が、その本を観察した結果や感じたことを話す。
6 場の流れで自由に話したあと、2から5のくりかえし。

私が話の場に出したのは2冊。買ったのも、読まないでいたのも、持っていこうと選んだのも私なので、すぐに話せると思っていたが、意外にその場で思い出すこと、他の人たちの話で気づくことがあって驚いた。

 

リルケ『マルテの日記』

買った理由

「観察」を深めたいと思っていた時に、本屋で見つけた。リルケは知っていたので、手にしてぱらぱらとめくったら、「僕はぽつぽつ見ることから学んでゆくつもりだ。僕はほんとうの最初の一歩を踏み出すのだ。どうもまだうまくはゆかぬ。しかし、できるだけ、極度に時間を利用して、やってみたいと考えている」という文があり、読みたいと思った。

読んでない理由

観察の前段階の勉強を優先しているため。タイミングが来れば絶対に読むので、手元にあれば大丈夫という気持ち。

隣の人の話

「国、時代的に、”遠くの存在”の作家だ」と言っていた。「そういえば最近読んでなかったジャンル」とも。

 

増田幸弘+集『不自由な自由 自由な不自由 チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイン』

買った理由

デザイン会社で、コンセプトの言語化や関係者への共有がなくても見た目のいいロゴやパンフレットが生まれるのを見た頃。「デザインの見た目は手段。思想や問題解決への姿勢が根底にあるべきでは?」と考えていた時に、ちょうど本屋のデザインの棚で、帯に共感したため。

読んでない理由

同じ考えの人がいるのだ、という心強さがすでにある。出会った時点で半分以上の目的を達成している気がしている。読むのをあせってはいない。

隣の人の話

「表紙と裏表紙に仕掛けがある」「帯のメッセージ、私も気になる」「読んでみたい」

 

3冊目は帰り際に紹介だけ。この理由で買って、この理由で読んでない女(30歳)というのもなかなかレアなんじゃないかと思って。

ウォルフガング・ロッツ『スパイのためのハンドブック』

買った理由

スパイに憧れたため。特に観察眼。

読んでない理由

スパイ適正診断のページで、スパイに向いてないという結果に真面目に落ち込んだため。

 

他のふたりの時間でも、「知人に薦められたが、難しくて読めなかった」という「あるある」の話から、「もったいなくて読めない。読むのはごほうび。いつにしようかな」という「ごほうびチョコ」みたいな話まで、買った理由、読まないでいる理由が本の数だけあった。ある人が苦手に感じるジャンルを、他の人が好きだったり、スリップが「購入後に読まないでいた証拠」に思えて笑い合ったり、別々に持ち寄った本なのに、テーマが響きあっていたりした。「読んでない」から始まる読書会は、興味深くて、愉快だった。

 

積読、読み終わらなくてもいいじゃん

帰り道、ウェブライティングで使っていたツールで、「積読」「積ん読」のSEOキーワードを調べた。共起する単語は、解消、アプリ、管理、消化、本棚、心理、増える、減らす、捨てる、断捨離、ストレス、すすめ、病気、メリット……など。いい文脈ではないのだろう、多くの人が管理や処分に困っているんだろう、現実を打破したくて買った本なのに、読めずに蓄積していくことがストレスになるんだろう、と想像していると、あれ?私にはこんな罪悪感がないぞ?と気がついた。

「読みたい。でもいろいろあって読めない。読めていない本だらけでストレスだ」よりは、「読みたい。読むぞ!読んでない本がこんなにたくさんある!」と、買った時の温度を維持できている。なぜ?と考えてさらに気がついた。そういえば、私は本を読み終わることがあまりない。

読んでない本は、読んでないこと自体でもちろん積読本だ。でも、私の読書は、一度読んだところで積読リストを出ない。難しい本は、はなから一度で理解できると思っていない。楽しい本は、だいたい二度三度、それ以上おいしい。「できるようになること」が目的の本は、身につくまでがゴール。一度目を通しても、筋トレのフォームは正しいかな、このレシピはまだ覚えてないとか、あれこれ課題が出てくる。自分の血肉になるまでは、「わかった」と言えない。くりかえしやってみて、そろそろ覚えた、「わかった」と言う頃には、存命の著者ならもう「次」に行っている。その「次」を読みながら、「わかった」と思った本を読み返すと、世界観や細部に新たに気づくことがあって、「まだまだだ」と感じ、「わかった」を飲みこむ。

私はたぶん、いつまでも「わかった」と言えない本、読み終わらない本に魅了されるのだ。だから、一読うんぬんが問題でない。くりかえし読むには堪えない、「読み終わった」と言える本、どうしても「わかった」と言えてしまう本を手にすることもあるが、「今の私にとってのはずれが、いつかの誰かにとってのあたりかも」と思えばなんだか楽しい。

読むことは手段だ。願いをかなえる手段はあまたあるのだから、本を読まないといって、非難されるべきではない。本を読まなくても、別の方法で、世界を読んで、考えて、生きていける。

読むことが自分の手段なら、積読本の山を眺めて途方に暮れるのではなくて、身近な一冊から楽しく登り始めればいい。あまりに気がうせる山なら、かの「手にとって、ときめくか」という魔法の呪文で、読む本を決めればいい。「積読」という言葉をほぐしてくれる、「積読本をひらく読書会」もおすすめだ。

 

主催者 舟之川聖子さんのウェブサイト ひととび http://hitotobi.strikingly.com/

まちの教室 KLASS http://klass.hagiso.jp/