著者:ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン
訳者:丘沢静也
出版社:青土社
発行日:1999年8月20日
形態:単行本
思想と思考をはっきり区別していた永井さんを読んだ「頭」で、ハイデガーの入門書を開いてみた。 まるで区別されてなくて(されているのかもしれないけど、たぶん用法が違うので)、最初の10ページも読めずに驚いた。ことばを少なからず共有しているひとの本は、こんなに安心感を与えてくれるのか。
「私が言い表せたことに意味があるのは、言い表せないものが(つまり、私には秘密に満ちたものに思え、私には言い表すことができないものが)、背景にあるからかもしれない」 MS 112 1: 5.10.1931
「私の思考は、じつは複製・再生でしかない。そう考えるとしたら、一面の真理があるのではないだろうか。私の思想の運動をつくりだしたことなど一度もなかったのではないか。いつもだれかにあたえられては、すぐに情熱的にそれに飛びつき、それを明晰にしようとしたのである。こうして私は、ボルツマン、ヘルツ、ショーペンハウアー、フレーゲ、ラッセル、クラウス、ロース、ヴァイニンガ―、シュベングラー、スラッファから影響をうけた。ユダヤ的複製・再生の一例として、ブロイアーとフロイトの名前をあげることができるだろうか。ーー私のつくるもの、それは新しい比喩・たとえ話である 」MS 154 15v: 1931
「感覚にはたらきかけないもの、たとえば数、のほうが、「純粋」である」MS 157a 62v: 1937
「なにも言わないのに匹敵するほど、すばらしいことを言うのは、芸術ではむずかしい」MS 156a 57r: ca. 1932-1934
「ウソをつくより、本当のことを言うほうが、しばしば、ほんのちょっと苦痛なだけである。甘いコーヒーを飲むより、苦いコーヒーを飲むほうが、ほんのちょっと苦痛なように。それなのに私は、どうしてもウソをついてしまう」 MS 162b 69v: 19.8.1940
「ファイリング・キャビネットの適当な場所に、新しい引き出しをひとつつけると、信じられないほど便利だ」MS 124 25: 11.6.1941
「他人を手本にするのではなく、自然を導きの星とせよ」MS 163 47v: 11.7.1941
「人間は、人間の心の最上の像である」MS 131 80: 20.8.1946
「「神」という言葉の使い方で示されるのは、君がイメージしている人、ではなく、君がイメージしているもの、なのだ」MS 132 8: 11.9.1946
「虚構の概念があってはじめて、われわれの使っている概念が理解できるようになる。そういう虚構の概念をつくりあげることほど、大切なことはない」MS 137 78b: 24.10.1948
「自分のスタイル(文体)にまずい点があったとしても、引き受けるしかない。自分の顔がまずいときだって、そうだろうが」MS 137 106b: 23.11.1948
アフォリズム集なだけあってリズムがよい。と感じて、しばらくしたときの、 「じつは私は、たえず句読点を打つことによって、読むテンポを遅らせたい。ゆっくり読んでもらいたいのである(私自身が読むみたいに)」MS 136 128b: 18.1.1948
「じつは」の切り出しかた。