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辞書

うやうやしい記憶

わすれたくないときは、わすれられないように仕向ける。

 

普段は、単語カードの片面に英語の綴り、裏に日本語の意味をさっと書くやり方でだいたい覚えられる。ただ、似た意味の単語がたまたま同じ週に続出したりすると頭に入らない。たとえば「綴りA=つまずく」「綴りB=つまずく」「綴りC=つまずく」に、つまずいて転ぶ。

 

記憶しにくいとわかった時点で、調べなおしたり別の辞書を使ったりする。電子辞書だと横断検索をかけられて便利。ニュアンスや語源の情報を加えると、言葉は格段に覚えやすくなる。

 

のはずが、この日は道のりが違った。「squit=目を凝らして見る」を覚えられずに調べなおしたら、「squit=役立たず」と出た。数日間、寝食を共にしてきた「squit=目を凝らして見る」のカード。周辺情報を知りたくて辞書を引いたのに、不意に前提を覆されて頭が「???」となる。ここはどこ、あなたはだれ?

 

結局「目を凝らして見る=peer」の類語検索で、squint のスペルミスだとわかった。

 

よく見ろよと言われ続けて、無視してて、今さら気づいた役立たず。
この流れとセットでうやうやしく格納された squint。

 

 

新しい言葉をつくっちゃえ!

正しい言葉遣いも大切だけど、言葉を新しくつくったり遊んだりするのも楽しい。フィールドワークで抽出された我が家の用語集と、浮かび上がった詩。

 

Family lexicon is:
– a bundle of old love letters
– important energy
– regular exercise
– playing in a particular style
– to relax completely and enjoy
– to understand or respect other people’s ideas and behaviour
– supporting changes in some systems that give people more freedom

ファミリーレキシコンは
何度も読み返したラブレターの束
大切なエネルギー
いつもやってるエクササイズ
こだわりの遊び
うんとくつろいで楽しむこと
相手の考えや行動を理解すること、敬うこと
もっと自由なシステムに変えていくこと

by たきじり(Longman Active Study Dictionary 5th edition、 “lexicon”掲載ページ、見開きで見つけた単語から作成(写真の蛍光ペン部分))

 

オースティン・クレオンさんちのオーウェンくん(6歳)は、お父さんの影響で、自分で絵を描いたり、音楽やzineをつくったりしている。かわいいので、私も新作を楽しみにしている。このツイートにも「いいね」した。

訳すなら、「 “Loveheart”は今や我が家の定番の言葉です」。 “lexicon”は、「ある特定の個人・領域などにおける用語集」のこと。本屋で買える「正式な辞書」には載っていないけど、オーウェンくんが母の日やバレンタインで使うので「オースティン家の辞書」には載っている言葉だという意味。

「ファミリーレキシコン」、我が家(2人暮らし)ではどうだろうとフィールドワークを始めた。普段通りの生活の中に観察者の自分を置き、会話の分析と記録を続けた。

あまり意識していなかったが、我が家は言葉の積極的な開発と便乗が推奨される環境である。新しい単語や意味が意図的に、事故的に、偶然にひょいひょい生まれ、流行り、廃れていく。音や意味の変化を経て定着に至ったものもある。書き言葉よりも話し言葉のほうが発達している。

 

うちのファミリーレキシコン
(各項目の最後は例文)

こてね
仕事がうまくいった、楽しいことがあったなどで精神的に満たされている、ほどよい身体的疲労がある、おいしいごはんを食べる、酒を一定量以上飲む、という条件がそろった上で、風呂に入る前にこてんと寝てしまうこと。ぎりぎりまで「お風呂には入るよ」「横になってるだけで眠ってない」とつぶやき続け、最終的には相手に嘘をつく。幸せそうな顔に免じて、ごくたまにであれば許される行為。「こてんね」からの音変化。

「昨日はこてねしてごめん。ほんとうに反省してる」

 

ぽてね
夫が、山盛りのポテトサラダを食べたあと、こてねに至ること。ポテトサラダはカロリーが高いため、こてねしないことを条件に提供されることが多く、こてねと違って重罪である。

「ぽてねするって、人としてどうなの?」

 

解体/解除
妻が洗ってカゴに積んだ食器を、夫が元の場所に戻すこと。心ここにあらずで気が急いている場合、いつもの場所とは違う場所に積まれた皿で、ピサの斜塔が建つ。2種類あるのは、初回の聞き間違いによる。どちらも譲らずどちらも定着。

「これつくってる間に、解体しといてくれないかな」
「わかった、解除する!」

 

接触不良
道具、とりわけ台所用品が妻の手のサイズや目的、作業動線に合わないこと。

「卵焼き器、接触不良だったんだけど、小さいものに変えたらめっちゃ使いやすくて楽しくなったーーー!!」

 

人気者
風邪っぴき、病人。ウイルスからモテモテの状態。

「だから言ったじゃん、寒い格好しちゃだめだって」
「ほら、ぼく人気者だから仕方ないよ」

 

自由研究
きらめくアイデアに心を踊らせ、夜や週末などのあるひとかたまりの時間、自室にこもって実験やものづくりにいそしむこと。夫のは今仕事で必要なことの数歩先のこと。あるいは関係があるかはわからないが、すごい発明に思えるもの。妻のは書きもの調べもの。専門を別にしながらも、発生したエネルギーには敬意を払いたいので、研究終了後の会話には「おうむ返し」のルールを採用している。

「今日はサーバの自由研究をしたんだ!(中略)すごいでしょ!」
「サーバの自由研究をしたんだね!それはすごいね!」
「そう思うよねー!うんうん」
(ここまでセット)

 

刺す
夫が、自分のヒゲが伸びているのをわかっていて、顔を妻に近づけようとすること。脅し文句だが、対する返答も脅し文句になることが多い。

「いっしょに行ってくれなきゃ刺すよ」
「夕飯出さないよ」

 

業務委託
得意なことを任せること。キッチンとネットワークは年間包括契約、それ以外は個別契約。

「これ、業務委託したいんだけど」

 

パスタマイスター
夫の肩書きのひとつ。役職が人を育てる。お湯を沸かし、塩と麺を計量し、鍋に入れ、タイマーをセットし、茹で、ざるにあげる一連の流れを担当する高度技術専門職。ソースやサラダは専門外のため、任務終了後はカトラリー設置部門へ異動。

「パスタマイスター、そろそろ出勤のお時間です」

 

同期
街の屋外ディスプレイでスーモの広告が流れ始めた瞬間に、妻がMacBookに繋がれたiPhoneのように、スーモの歌を口ずさみ始めること。

「スモスモスモスモスモスモスーモ♪」
「同期したね」

 

キーステーション
旅行先で起点にする駅。近くに宿泊することが多い。

「今回の旅は広島駅をキーステーションにお送りしましょう」

 

潜入
地下も含めて何階もあるような大きな建物に2人で入る場合に、夫が使う。悪いことをしていないのに悪いことをしている気持ちになる。

「さあ着いた。潜入するよ」

 

調査
店で品物を見てまわること。「潜入」と合わせ、スパイ色が強くなる理由は不明。

「今日はあのパン屋を調査しなきゃ」

 

毎日言葉遊びをしているような、即興芝居をけしかけているような、機転を試しあっているような感じだな。負けないぞ。

 

 

葉桜を覚える

歌や料理、香りで昔のことを思い出すのと同じように、私は単語で人を思い出すことがある。新しい言葉を覚える瞬間が、人とセットになっている場合がある。それが珍しくて、うれしいものだと、書いて整理したら気づいたという話。

 

「葉桜」の単語で、思い出す人がいる。「桜」では思い出さない。その人を見て、「葉桜」を思い出すこともない。単語で人を思い出すというのが不思議で、言葉の覚え方を整理することにした。私の、言葉と意味をつなげる方法は、今のところ大きく分けて2種類あるようだ。

1 新しい言葉を知る
2 すでに知っている言葉の意味を広げる

 

そしてそれぞれが、次のように枝分かれする。

1 新しい言葉を知る
 1-1 辞書をひく
 1-2 人に教えてもらう

2 すでに知っている言葉の意味を広げる
 2-1 人に教えてもらう
 2-2 観察する

 

またそれぞれに、それぞれの葉が生える。

1 新しい単語を知る
1-1 辞書をひく
 1-1-1 納得できるまで説明文を読む
 1-1-2 ひとつめの意味、ふたつめの意味…..と、別々に書かれてある意味を重ねるように読む
 1-1-3 語源から想像をふくらませる
 1-1-4 初見と実際のギャップを利用する

1-2 人に教えてもらう

2 すでに知っている単語の意味を広げる
2-1 人に教えてもらう
2-2 観察する
 2-2-1 話しているのを聴く
 2-2-2 書いてあるのを読む

 

それぞれについて、詳しく見に行こう。まずは、新しい言葉を知るために、辞書をひく場合。

 

“Don’t you love the Oxford Dictionary? When I first read it, I thought it was a really really long poem about everything.” ― David Bowie

 

1-1-1 納得できるまで説明文を読む

物事の定義を書いているのが辞書だが、一度ひいて、短い文章を読んで、「よし、わかった」と思うことは少ない。国語辞典については、説明文が足りない。例えば「説明」を「説き明かすこと」と書くように、説明になっているようで、なっていない言葉が多い。そのため、複数の辞書サーフィンは必須だ。漢字は漢和辞典を、外来語は英和辞典をあたる。英語は、英和、英英にあたる。電子辞書が活躍する。

 

1-1-2 ひとつめの意味、ふたつめの意味…..と、別々に書かれてある意味を重ねるように読む。

言葉は生きものなので、時代や環境で意味が変わっていく。連想ゲームのようだ。ひとつめの意味を確認して覚えればOKではなく(というかそういう覚え方が全くできず)、意味の総体として、できるだけ立体でさわろうとする。

 

1-1-3 語源から想像をふくらませる

指導教授が、「英語は文献化への執念が強い」と言っていた。電子辞書の英和大辞典やOxfordの辞典には、ギリシャ語やラテン語、フランス語、古英語、中世の英語がもとになっているとか、「ここまでは明らかになっているが、ここからは不明」など、必ず語源や語の変遷が書かれてある。例えば“cherry”なら、「初14c;ギリシア語 kerasos(サクラの木)」とある。

漢和辞典でも、解字で文字のつくりを知り、想像する。「桜」は、「櫻。嬰(エイ)は、『貝二つ+女』の会意文字で、貝印を並べて、首に巻く貝の首飾りをあらわし、とりまく意を含む。櫻は『木+嬰』で、花が木をとりまいて咲く木」とある。

言葉が作られたのは過去のことなので、どんなに研究が重ねられても、語源は本質的に正しさを見極められないものだし、現在使われている意味とかけ離れているものもある。ただ、私が言葉のイメージやニュアンスをつかむには役に立っているし、「こういう始まりだから、私は、こういう使い方をしよう」と決める手だてにもなっている。言葉を作った人、使っている人の見ている景色を、垣間見るような感じだ。

最近は「取」がおもしろかった。「『耳+又(手)』で、捕虜や敵の耳を戦功のしるしとして、しっかり手に持つことを示す。手の筋肉を引き締めて物を話さない意を含む」とあり、血や暴力を想起した。「奪い取る」とか、荒々しい、力のこもった文脈では最適だが、やわらかいものには合わせたくないなと、「私は」感じた。現在の意味における含有率はだいぶ低い、ほぼないようだが、私がそう感じたことは事実だし、それでいいと思っている。

 

1-1-4 初見と実際のギャップを利用する

ぱっと見の印象と想像を、実際の意味で答え合わせするような、なぞなぞのような過程を経る。

例えば“bench warmer”。英語が母国語でないからこそ、いったん「ベンチを温める人」と直訳する。それから、「ベンチを温める人?ずっと座ってる人?デスクワーカー?いや、ベンチだから外か。サッカーの試合の観客とか?」と推理して、答え合わせをする。意味は「補欠選手、控え選手、役に立たない人、窓際族」だそう。そこから“bench”に、補欠選手の意味があることを知る。

“creative acounting”は、「え、クリエイティブな会計?財務諸表のまとめ方がスーパーいけてるのかな。クリエイティブ業界の会計ってルール違うのかな」と挟んで、「粉飾決算、財務記録の偽造」を知る。

“the cherry on the cake”は、「ケーキの上のサクランボ。食べたいな。あ、でもイチゴのほうがいいな。ケーキ食べたいな」とよだれを出してから「魅力的なものにさらにいい点が加わること」という意味を知るので、全身で「たしかにね!」と言える。辞書に「いいね!」ボタンがあったら、押しているところだ。

 

次は、新しい言葉を人に教えてもらう場合。

1-2 人に教えてもらう

「葉桜」はここだ。彼女が「葉桜が好き」と言うまで、私は葉桜を知らなかった。教えてもらって、初めて桜が分化した。葉桜を見られるようになった。ヘレン・ケラーとサリバン先生のようだった。目が見える私は写真を撮った。ストーリー記憶ではない。解像度の上がった瞬間を、瞬間のまま記憶した。

tumblrの記事を書けるようになった日、私は意気揚々と「<br>でね、改行できるようになったよ」とエンジニアの夫に報告した。彼は「そうかそうか」と言って、「“br”は“break”なんだよ。略称には全部意味があるよ。“p”は“paragraph”ね」と教えてくれた。私はこの瞬間も写真を撮った。

どちらの記号も、意味といっしょに、その人のことを思い出す。私が知らなかったことを知っていて、私が見ていなかったことを見ていた人たち。うまく言葉にできないが、教えてくれた時、その人はその言葉とその言葉があらわすものを、好いている感じがした。その人が、その言葉を覚えた時の、わずかな心の動きと合わせて、私に教えてくれたような気がした。いつも、全部をひっくるめて思い出す。

ここまでが、新しい言葉を知る場合の話。

 

次の「すでに知っている言葉の意味を広げること」は、よく仕事でやっていた。言葉は、実際に使われてこそのもので、人それぞれで微妙に定義が違う。

2-1 人に教えてもらう

話の中で、「その言葉を、どういう意味で使っていますか」と訊く。

言葉が人を動かし仕事を進めると知っている人は、日頃から言葉について考えているので、自分の定義を持っている。うまいリーダーは、その定義をメンバーに説明し、メンバーに話をさせて理解を確認し、都度修正を加えながら、また合言葉にしながら、組織の目的を達成していく。私は目的を明らかにしたうえで、上司やキーパーソンの使う言葉から、見ている景色や時間軸をつかみ、自分の定義を加えて仕事にしていたのだが、初期と各マイルストーン、最後のフィードバックで、キーワードの理解を深めていくのがたまらなく好きだった。視点が増え、視野が広がり、視座が上がった。普段の会話は、同じことをやると面倒くさがられるので人と時間を選ぶ。大切にしているんだろう言葉の話を聴けるとうれしい。

 

2-2 観察する
 2-2-1 話しているのを聴く
 2-2-2 書いてあるのを読む

人が話しているところを見たり聴いたり、書いたものを読んだりしたあと、「その言葉を、こういう意味で使っているのですか」と確認する。

「たしかに」と言われることも、「そんなこと考えてなかった」と言われることもある。長年の忙しい日々、思い入れをもって仕事を続けているところで、その人が当たりまえに思っているもの、当たりまえと思わないくらい当たりまえなものを外から追っていると、特徴が浮き出てくることが多い。個人もそう。組織もそう。必要そうなのにそこにない言葉があったとき、あえて口にしたことも、渡さないこともあった。観察は性質上、いつもアウトサイダー感がついてまわる。

 

ここまで書いて、葉桜の1-2のように、新しい言葉を人に教えてもらうのが好きだと気づいた。特別に感じるのは、数がそう多くないからだ。誰かを思い出す言葉を増やしたい。思い出して、「思い出したよ」と言える相手を増やしたい。皆いつか散るのだから、「思い出したよ」と伝えられることを大事にしたいと思う。