春の弁当屋

夫と、散歩がてら寄った弁当屋。

注文して、待っているとき、 “「4月の夜はまだ少し肌寒いね」 そう語り合う 微妙な距離の2人”という歌が流れた。
私が「微妙な2人のこの話の中身、語りって言うのかな」とつぶやくと、夫が「君はほんと歌詞を聴くよね」と返した。

番号を呼ばれて、弁当を受け取ったとき、新しいお客さんが入ってきた。
続けてUberEatsのカバンを背負った人もやってきた。
店員さんが「ウーバーイーツさん、次にご案内いたします」と言った。

「ウーバーイーツさん」って呼ばれてるのかー!
「次にご案内する」って表現をされるのかー!
店員さんと目くばせで合図するんじゃないのかー!ほえー!!
みたいな感動を、忘れないように抱きしめて帰った。

 

 

目玉焼きに置換する

 

壁一面に敷き詰められた目玉焼き

今日は目玉焼きから直帰します

寒い朝、目玉焼きが氷っていた

TOEIC頻出目玉焼き300

大安だから目玉焼き買っとこう

目玉焼きの木陰で過ごした夏休み

足を肩幅に広げ、深呼吸、目玉焼きのポーズ

各地でGo To 目玉焼きトラブル相次ぐ

Please fasten your medamayaki.

目玉焼きか目玉焼きかで悩む

 

 

ベストアルバム

 

これまで書いてきたものの中で、特に多く読まれているもの、私をよく表すもののまとめ。

 

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■言葉とのつきあい
MY LIFE WITH WORDS
新しい言葉をつくっちゃえ!
葉桜を覚える
風呂の蛇
Flamboyantly 自信をもって、大胆に
コピペ弁当の再定義
歯医者のプレイリスト
「月には住みたくないですね」

 

■とても多くの方に読んでいただいているもの
スタートレック お近づきプログラム

 

■細く長く読んでいただいているもの
(祝)ぼく自身の歌
夜は短し歩けよ小娘
【翻訳】ヴァージニア・ウルフ「クラフツマンシップ」
無印の絵本ノートでつくる旅のしおり

 

■家庭内起業家としての側面
おうち企業制度と公式LINE
新会社設立のお知らせ

 

 

魔法瓶みたいな日

 

健康診断の日。
出かけるまでに時間があったので、荒川洋治の本を読んだ。
紹介されていた詩のひとつに心をわしづかみにされる。
健診前、心拍が上がりっぱなしで困る。

 

病院までの道では音楽をかけて、待合室ではテレビを眺めていても、頭のなかはさっきの詩のことばかり。
おかげで番号を呼ばれても気づかないことたびたび。
一概に詩といっても、まったくわからない、何も感じないものも多いのだけど、たまにすごい速さのボールを予期せぬ角度で打ってくるものがある。

 

常々、言葉の種類には表現重視のものと伝達重視のものがあると思っている。
表現重視のものは、何かを存在させるためのもの、何かをつくりだすためのもので、人に伝えることは二の次というか、わかってもらえてもわかってもらえなくても気にしない。主眼がそこにない感じ。
伝達重視のものは、人に何かを伝えるためのもので、人にわかってもらえないとだめなので、わかりやすく、キャッチーに、という指向性。
資本主義の世の中では、伝達重視の言葉が便利だし、重宝される。

 

荒川洋治がいくつもの本で、このふたつを「詩」と「散文」で言い換えていた。
表現重視の、詩のほうが、言葉としては自然であると。
言葉には2種類あることと、表現用のほうをより重視すること(排除されやすい表現用も大切だということ)を言っている人を知らなかったので、とても励まされた。

 

私はたぶん詩寄りだ。
昔から、人にわかってもらおうとするところからは書いてない。
(わかってもらえないに決まってる、というような刺々しい意味ではない。
「人に伝えることを先に考えて、そこから逆算した結果を重視して形をつくること」をしない)
わかりにくいから悪文、とは思わない。
読んでもらえない=意味がないとは思わない。
金に結びつけたいとも考えない。
読まれない、理解されない、儲からないのが前提。

 

短い言葉の集積による興奮が冷めない、魔法瓶みたいな日がある。
文章でつらつら書くまでではないけれど、瞬間的にガッと生じた感情をそのまま切り取って、パッと配置して、圧縮なり冷却なりしたくなること、形にできたらハイ!おしまい!今日はいい日!と言える日がある。
そんな日は、自分が存在している実感がある。

 

夕食の席で、ひとつの詩に占領された話、詩と散文の話を夫にした。
「きみの言葉はパブリックじゃないってことだね」は、褒め言葉。
「今日はそこに “いる” 感じがする」は、私と同じ感想。
私にぴったりの表現で、思わずハイタッチと握手をした。

 

“パブリックでない” と、私は “いる” ことができる。

 

口止め

 

えびせんの袋に口止めシールがついていた。
ぱっと「口止め」だけが目に入ったばっかりに、うっかり「食べたことをえびせんに口止め?」っていう問いを経由したんだ。
と夫に話したら
「罪悪感があるってことだな」と返された。

ひとりじめするはずだったえびせんを少し分け、共犯にした。