ペスト

Date
4月, 02, 2020

 

著者:カミュ
訳者:宮崎嶺雄
出版社:新潮社
発行日:1969年10月30日
形態:文庫

La Peste
by Albert Camus
1947

 

約9カ月、ペストの猛威に乗っ取られていたアルジェリア、オラン。
封鎖された町で黙々と治療にあたる医師、リウー。
ねずみの死体が頻繁に見つかり始めたころから、人間が感染し、死者数が急増してピークを迎え、 一旦の終息を経てまた町が開放されるまでを描く。

 

2020年4月時点で特効薬のない新型コロナウィルス感染症。
欧州で感染が爆発的に広がり、日本、東京はいつ緊急事態宣言を出してもおかしくない状況。
マスク、消毒液、トイレットペーパーが手に入りづらい中、紀伊国屋書店では「おひとり様一冊まで」と案内が出されるくらい、全国的に売れているカミュの『ペスト』。

 

外出を控えるようになって1ヶ月半が経ち、自分のルーティーンをできるだけ守ったり、気分転換に力を入れたりしている。
今、どういうふうにあるべきか、考えながら読んだ。

 

本来なら逮捕されるべき罪を犯しているが、ペストでそれどころではない警察に逮捕を保留されているコタール。
自殺未遂をするくらい逮捕を恐れていたのに、人々がペストを恐れ、不安にかられている町では一転、どんどん陽気になり、密輸で巨財をなし、この先もペストが静まらないことを願う。
貧困地域に住む喘息もちの老人は、ぺストが流行っても動揺せず、いつも通りの日課をこなして生きる。
ペストによって自分を変えるか、変えないか。
対極の二人の描写がリアルで、個々のもつ考え方にも説得力があった。

 

リウー医師については、聖職者らが使う「人類」という大きな言葉を努めて使わず、具体的な、目の前の「人間」を診る姿勢を崩さなかったことと、
疲労や絶望やいらだち、不安による「分裂」が、自分だけでなく医師全員に起こることを認めながらも、何度も医者であろうとしたことが特に印象に残っている。

 

神のもと、人類の救済を目指す司教パウルーが、リウーを説き伏せようとするシーン。
考え方が違っていても、すべきことは同じである。

p.260
彼はいった。
「たしかに、あなたもまた人類の救済のために働いていられるのです」
リウーはしいてほほえもうとした。
「人類の救済なんて、大袈裟すぎる言葉ですよ、僕には。僕はそんな大それたことは考えていません。人間の健康ということが、僕の関心の対象なんです。まず第一に人間の健康です」

p.261
リウーはいった。
「僕が憎んでいるのは死と不幸です。それはわかっていられるはずです。そうして、あなたが望まれようと望まれまいと、われわれはいっしょになって、それを忍び、それと戦っているんです」

p.260
「われわれはいっしょに働いているんです。冒涜や祈祷を越えてわれわれを結びつける何ものかのために。それだけが重要な点です」

p.368
彼はそれにしてもこの記録が決定的な勝利の記録ではありえないことを知っていた。それはただ、恐怖とその飽くなき武器に対して、やり遂げねばならなかったこと、そしておそらく、すべての人々―聖者たりえず、天災を受けいれることを拒みながら、しかも医者となろうと努めるすべての人々が、彼ら個々自身の分裂にもかかわらず、さらにまたやり遂げねばならなくなるであろうこと、についての証言でありえたにすぎないのである。

私も使う言葉を大きいものにしないようにしながら、自分のできることを進めていこうと思った。

 

戦争、神、死刑制度などに対するカミュの考えもふんだんに盛り込まれているが、他の著作と伝記を読んでから改めて考察したい。