フィフティ・ピープル

Date
12月, 05, 2020

 

著者:チョン・セラン
訳者:斎藤真理子
出版社:亜紀書房
発行日:2018年10月17日
形態:単行本

피프티 피플
by Chung Serang
2018

 

50人の人々が主人公の連作集。
作者が「書きすぎた」と告白しているように、本当は51人分の章がある。
独立した章が割り当てられていないけれど名前が出てくる人や、名前がなくぼんやりと出てくる人も合わせれば、プラス数十人だろう。
ある郊外の町の病院を中心に、周囲の店や家にもカメラが向けられる。
多くの人々の生活、口に出した言葉と隠した気持ち、生と死、社会問題が交差する様子が映し出される。

 

数十人の人々がかなりうまく書き分けられているので、ある章の主人公が別の章でちらっと現れても、すぐに思い出すことができる。
構造的なおもしろさと、たまに出てくるユーモラスな人、応援したくなるような人、愉快な会話にぐいぐいと引きこまれる。

特に印象的だったのは4箇所。

p.34 【病院の保安要員として精神科に配属された、キム・ソンジン。同性愛者】
家族と最後に会ったときのことが脳裡に浮かんだ。ハンジョンの首を押さえているとき、なぜかあのときのことを思い出したのだ。みんながソンジンを異常だと言った。精神病院に行くべきだと言った。今この瞬間を家族に見せてやれたなら、説明できたなら、伝えることができたなら―ソンジンがどんなに正気かということを。こんなに明らかなことなのに。

pp.39-40 【次男の嫁ユンナが事故で入院したのを心配する、チェ・エソン】
あずき袋を枕元に置きに行くと、ユンナは寝ていた。起こさないようにと、袋だけそっと枕の横に置く。
「これ何ですか? 何が入っているんですか?」
眠りが浅かったのだろう、すぐに目を覚まして尋ねる。
「あずきだよ」
そう答えるとユンナが久しぶりに笑った。
「結婚前に一人暮らししていたとき、誕生日に母さんから電話が来たんです。何でもいいからあずきの入ったものを食べなさいって。そうすれば邪鬼が寄りつかないからって、何度も念を押すんですよ。でもその日は仕事が遅くまであったから、食事では食べられなかったんです。それで私、何食べたと思います?」
「何食べたの?」
「ビビビック(あずきアイスの銘柄)」
こんどはエソンが笑った。
「買ってこようか?」
「ええ、食べたいです」
エソンはエレベーターで売店まで降りていく間ずっと、じりじりして足の指を動かしていた。油圧式エレベーターなのでとてものろいのだ。病院の売店にそのアイスはなかった。近所のスーパーを何ヶ所か回らなくてはならなかったが、そんなことはかまわない。とうとうビビビックを見つけて買ったエソンはこらえきれずに、レジ袋をぶんぶん振り回した。ちょっとの間、五十肩も遠慮してくれた。見ている人がいなかったら、嬉しさのあまりぴょんぴょん跳ねたかもしれない。

p.108 【天才外科医のチェウォン(あだ名が天才少女)に恋する麻酔科医、キム・ヒョッキン。手術中に低血糖で倒れた彼女を助ける】
天才少女がヒョッキンにありがとうと言った。そういう天才少女はまだ目を開けているのもやっとのようで、心配だった。僕が受け止めてあげたことを忘れちゃったらどうしよう? 天才少女の方では一度も恩に着せたことはないけど、ヒョッキンはそうしたかった。王子様みたいに助けてあげたのだから、食事の一回くらいおごってくれないかな。

p.248 【司書の資格をもつキム・ハンナ。司書には非正規の職しかないため、臨床試験責任者に転職する】
何日かして、本を注意深く選び、病院に何箱か持っていった。試験参加者が気軽に手にとれるような、軽い、すぐ読める本たちを。主人公たちがひっきりなしに飛び回っているような本たち、得体の知れない薬を飲み込む怖さをしばらく忘れられるような、わくわくするおもしろい本たちを。
試験が終わり、本を返しに来た参加者たちが言った。
「あんまり本は読まない方ですが、これは一晩経つのがあっという間でしたよ」
ときどき来るビジネスマンだ。動きづらいスーツで試験に参加していたが、とても満足そうだ。誰もハンナが司書だということを知らないが、ハンナは司書として生きていくだろう。この先、どんな職業に就くかわからないけど、ひそかに司書であり続けるだろう。

 

引きこまれるおかげで、何気ない日常、当たり前に続きそうな生の隙間に顔を出す死の気配が余計に怖い。びくっとする。
寿命を全うするような死よりも、遡れば社会問題が原因の死が多い。
たとえば、トラックの過剰積載による事故で夫が植物状態になってしまった女性、チャン・ユラについて。
訳者の解説にはこうある。

p.476
トラックの過剰積載は日常的に起きており、それが絶えない背景には運送費が安すぎることがあるとされる。2014年に沈没した大型旅客船セウォル号も、適正貨物量の3倍を超える貨物を積載していたことが明らかになったが、これは陸上でのトラックの過積載がそのまま船に積み込まれ、書類には正確な重量を記載しないという慣行によってもたらされたものといわれる。この章に出てくる「貨物連帯」は実在する労働組合で、過剰積載や低賃金の問題を解決するため「標準運賃制」の導入を要求してきた。ユラが彼らにハンバーガーの差し入れを持っていくシーンは、韓国の多くの読者が本書の最も印象的なシーンとして挙げている。

 

いろいろな問題が起こる中で、どう「ある」か、どんな振る舞いを選択するか。
疲れたらどうすれば、というのは、私もよく考えることなので共感しながら読んだ。

【妻と静かに暮らしているのに、マンションの階下の住人から「騒音を出すな」と言いがかりをつけられ、嫌がらせをされているキム・シチョル。夫婦で話しあい、残念だが引っ越すことにする】
p.357
ちらっと眠りかけたヘリンを起こして訊いてみたかった。僕らもあんなふうに変わってしまったらどうしよう? まるで見当外れな相手にあたりちらすような人間になってしまったら? 世の中は不公平で、不公正で、不合理だ。その中で僕らが疲れ果てて、あんなふうになってしまったら?

【職業環境医学科の医師として、労働環境の測定や健康診断をおこなうソ・ヒョンジェの章。信頼するイ・ホ教授との会話のシーン】
p.448
すべてがなぜこんなにでたらめなのか、めちゃくちゃだらけなのか。このぬかるみの中で変化を起こそうと試みても、何てしょっちゅう、挫折させられることだろう。努力はかなわず、限界にぶつかり、失望させられ、のろのろ、のろのろと改善がなされてはまた後退するのに耐えながら、どうやったらくたびれ果てずにいられるのだろう。ヒョンジェは気持ちを吐露し、そして尋ねた。

p.450
「これは私の見解にすぎないし、私も耄碌しているしね。でも、今の私はそう信じています。若い人たちは当然ストレスを感じるでしょうね、当事者だから。先端に立っているから。でも、傲慢にならずにいましょうよ。どんなに若い人にも、次の世代がいるのですから。しょせん私たちは飛び石なんです。だからやれるところまでだけ、やればいいんです。後悔しないように」