布団に潜り込む時に笑え

Date
12月, 27, 2022

11月に新しい薬を飲み始めた。
いちばん少ない量からスタート。
困りごとには合いそうだったので今月増量した。
副作用で血圧が下がっていて、とにかく眠い、疲れやすい。
(疲れやすさは、骨折で体力が落ちたのもある)
慣れるまでどれくらいなんだろうとネットを調べたら、1ヵ月~半年くらいらしい。
慣れることがあれば、だけど。

仕事にきりがつき、英語の勉強と読書に明け暮れる日々。
のはずが、いかんせん眠く、11時くらいに1回、14時くらいに1回、布団に入って寝ている。
基本的に、食事→少し机について作業→寝る、を繰り返している。
肉体は健康だが、心が追いつかない。
うしろめたい。
夫は「優雅に楽しめ」と言う。

今日は抵抗しようと外出した。
夫から頼まれた、急ぎではない買い物を済ませ、本屋に行き、数冊買った。
本を買う時、「私は読める」という意地みたいな気持ちが顔を出す。
「ずっと読めない頭や体じゃない。今はたまたま読めないだけ。読めるようになった時のために買う」みたいな。
内心で、元気な自分に憧れている。

別に今回の薬の慣らし期間に限らず、私はたいてい調子が悪い。
なんか、悪い部分があるのが当たり前すぎて、悪いところがなくなることも、最高に元気な自分を期待することもなくなり、善悪の表裏一体のように、いつでもそこにあるものだと思うようになってきた。
それを人は「受け入れる」とか「愛する」とか言うのかもしれないけど、言葉が違う気がする。
幽体離脱して、冷ややかな目で、いいところも悪いところもひっくるめて、ただ見る感じ。
この前イギリスのロマン主義者(個人の感覚重視)の詩を読んで「やっぱテンション高いな」と辟易し、後の時代の簡素なアメリカ詩を読んでほっとしたのだけど、それと似て、自分にくっつける動詞に感傷を入れたくない。
毎日いちいち自分に感動したり落ち込んだりしたくない。
同じようなパターンで古傷をこねくりまわしたくない。

この淡々さはどこから来たのか考えたら、夫である。
私が喜んでいる時こそ朗らかに呼応してくるものの、悲しんでいる時、落ち込んでいる時は努めて淡々と対応してくる。
「うん、うん、うん。そっか。今日はそういう日で、仕方ないので、よし、お風呂入って寝ようね」みたいなあしらい。
昔はそれを冷たいと思っていたけど、最近は優しいと思う。
体調も感情もそれに伴う諸々も、他者の介入の有無に関係なく、君のものだよ、と言われている気がする。
翌日にはまたそこそこで生きられることを、信じてくれている気がする。

そんな人だから、すごいなと思って、日中余計に、「私寝てるだけでいいのかな」と感じる一因でもあるのだけど。

話し合いの結果、「昼寝をするのは偉い」ということになった。
「私は偉い」と言い聞かせながら、ほくほく寝る練習をする。

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