My Father’s “Norton Introduction to Literature,” Third Edition (1981)

Date
4月, 27, 2019

タイトル: My Father’s “Norton Introduction to Literature,” Third Edition (1981)
邦題(仮): 「父の『ノートン 文学入門』第3版(1981年)」
作者: HAI-DANG PHAN
形式: 詩

 

学びを持ち寄る会で発表した資料を残しておく。日本語訳がないし、著作権の関係で自家製の訳も載せられないけれど、英語で読んでみたいという人向けの簡易ガイドなら。

ほんとうに好きな詩。

 

■テキスト(英語)

https://www.poetryfoundation.org/poetrymagazine/poems/58485/my-fathers-norton-introduction-to-literature-third-edition-1981

 

■概要

父親が大学時代に使っていた文学入門の教科書を、息子が偶然見つけて読む。「父親が教科書の余白に書き込んだメモ」、「『読む』という体験」、「一家の過去の記憶」、「文学作品の一節」「2か国語」を、息子がキルトのように繋ぎあわせてつくった詩。2015年の作品。2016年のベスト・アメリカン・ポエトリー賞を受賞。
「読むこと」を通して「読むとは?」を考える詩。文学を扱いながら、「文学とは?」を問う詩。

 

■ノートンとは

ノートン社(W. W. Norton & Company, Inc.)。文学研究に定評のあるニューヨークとロンドンの出版社。「英文科の生徒といえばノートン・アンソロジー」と言われるほど、世界中の大学で採用されている。アンソロジーは、辞書のような薄いページの集積に重要な作品が詰め込まれた作品集のこと。私は大学時代に2冊、現在別の種類のものを1冊所持。詩で引用されている ”Assume there is a reason for everything” は、Norton Introduction to Literature の冒頭、文学を読むときのこつ3つとして挙げられているもの(作品を読んでどんなに変な感じがしても、大抵の場合は作者が意図的に書いているから、がんばって理由を突き止めよという主旨)。

 

■登場人物

ベトナム戦争後、アメリカに帰化した(ベトナム国籍を捨てて移住し、アメリカ国民になった)、ベトナム人一家

: 戦時中は南ベトナムの海軍将校。再教育キャンプ(北ベトナム政府運営の強制収容所で、共産主義者でない人たちの思想教育をおこなった)に収容されているあいだに、娘を失う。生きている姿を1度しか見られなかった。戦後、移住した新しい国で、英語とと文学を学ぶ。
: 夫婦の息子。第2子。この詩の作者。英文学者。大学の仕事と執筆の仕事を始めた2012年、両親の家の本棚で、父親が使っていた教科書『ノートン 文学入門』を見つける。
: 夫が再教育キャンプに収容されているあいだに、ひとりで娘の最期を看取る。
: 名前はĐông Xưa。夫婦の第1子。1歳2ヶ月で死去。

 

■詩の構造

大まかな流れ

<父親が使っていた教科書を息子が見つけて眺める>

<父親の「読みかた」を、余白の書き込み、下線、蛍光ペンなどから読み解いていく>

<父親の沈黙=言葉にしていないものに思いを馳せる>

<父親の過去、一家の記憶の回想>

<回想終了。余白を見つめて途方に暮れる>

<父親の書き込みに戻る。励まされる>

<読み終える>

 

言語
ベトナム語と英語が入り混じる = 父親が新しい国で新しい言語を学ぶ様子が表現されている。
ベトナム語にはベトナムでの記憶が紐づく。

 

詩の材料 = キルトの繋ぎかたのバリエーション
A 欄外の余白に書き込まれたメモを、息子が説明・解釈する
B 掲載されている文章中、アンダーラインや蛍光ペンが引かれているところを、息子が説明・解釈する
C 掲載されている文章の一節を、息子が引用して家族の描写に当てはめ、自分の詩の本文にはめ込む
D 何が書かれていないかに思いを馳せる

父親が実際に使っていた教科書の写真は、作者のブログを参照
http://www.haidangphan.com/blog-1/2015/11/1/norton

 

詩の中に登場する文学作品
生、死、亡霊のイメージが、本文の内容とリンクし、残響となる(最低限、ランソムの詩だけは全文を読んでいたほうがいいと思うので、最後に岩波の訳を引いておく)。

シェイクスピア「ハムレット」
“even the like precurse of feared events” の部分。「生きるべきか死ぬべきか」の台詞で有名な戯曲。主人公ハムレット、毒殺された父の亡霊。ホレイシオはハムレットの親友。

ディキンソン「私は『死』のために止まれなかったので」
“I first surmised the Horses’ Heads / Were toward Eternity —” の部分。死についての詩。

ヘミングウェイ『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』
“The Short and Happy Life of Francis Macomber” の部分。臆病者だとののしられたマカンバーが勇気を振り絞り、結果死ぬ話。Nortonの詩にはタイトルのみ出てくる。

フラナリー・オコナー『黒んぼの人形』
老人が孫に黒人を見せようと出かける話。“Both the old man and the child stared ahead as if they were awaiting an apparition.” (亡霊を待つかのように突っ立っていた)という箇所が引用されている。

フロスト「雪の夜、森のそばに足をとめて」
“Stopping by Woods on a Snowy Evening” タイトルのみの引用。夜、森で雪が積もるのを眺めている男についての詩。「森はまことに美しく、暗く、そして深い。だがわたしにはまだ、果たすべき約束があり、眠る前に、何マイルもの道のりがある」との一節がある。「眠り」は死を想起させる。(岩波 pp.122-125)

ランソム「ジョン・ホワイトサイドの娘への弔鐘」
「知人の幼い娘の死を悼む詩。からかい半分の大仰な文体で少女の元気なお転婆ぶりを語ることで、痛切な哀惜の念を伝える」(岩波 pp.220-223) ““Bells for John Whiteside’s Daughter,” a poem about a “young girl’s death,” as my father notes, how could he not have been “vexed at her brown study / Lying so primly propped” と “There was such speed in her little body, / And such lightness in her footfall, / It is no wonder her brown study / Astonishes us all.”  “took arms against her shadow.” の3ヵ所で引用。

スティーヴンズ「日曜日の朝」
「神のいない『うつろな』今日の世界に住む人間は、古びた信仰の夢にすがることなく、むしろこの好機をとらえ、みずみずしく洗われた想像力の目で現実を見つめなおすことで、限られた生を充実させるべきだと説く」詩。(岩波 p.146)“Sunday Morning” タイトルのみ出てくる。

 

■私が特におもしろいと感じるところ

 

 

ジョン・ホワイトサイドの娘への弔鐘

by ジョン・クロウ・ランソム

その小さな体はスピードにあふれ、
足音はいとも軽やかだったので、
この子のむっつりともの思いにふける姿が、(※生前とうってかわった静かな死顔の意味)
みんなを仰天させるのもむりはない。

この子の戦の数々は、高い窓辺の噂となった(※大人たちが少女の快活ぶりを感心して見守っている、という意味)
果樹園の木立やその向こうを見ると、
この子は自分の影に勝負を挑んだり、
無精な鵞鳥(がちょう)をうるさく池まで

追い立てたり ー 鵞鳥はまるで雪雲のように
緑の草に羽毛の雪をぽたぽた落とし、
一杯食わせたり、立ち止まったり、― 眠そうに、誇り高く、
鵞鳥語でひとこと「嗚呼」と叫んでは、

元気で疲れを知らぬこの小さなご婦人が、
棒切れで、自分たちを真昼の林檎の夢から
叩き起こし、青空のもと、ちょこまかと鵞鳥走りに
逃げ回らせるのを、嘆いたものだ。

だがいまや鐘は鳴り、みんなは支度を整えて、
いかめしくひとつ家(や)に立ち寄ると、
この子がすまして支えを受けて横たわり、じっと
もの思いにふけるのは、困ったものだと申し述べる。

 

■参考文献

J. Mays, Kelly. 2018. The Norton Introduction to Literature. 13th edition. New York: W. W. Norton & Company.
亀井俊介、川本皓嗣編. 1993. 『アメリカ名詩選』東京: 岩波書店.