I’d Love You to Want Me

Date
8月, 25, 2019

by Viet Thanh Nguyen, 2008, 2017

 

大切なものを少しずつ失っていく人たちの話。

 

認知症で記憶を手放していく夫と、彼を支える19歳年下の妻。戦時中、ベトナムから船でマレーシアに渡り、アメリカに亡命した。夫はコミュニティーカレッジの職を春に退職。妻は図書館でパートタイムの仕事をもつ。子どもたちは皆独立し、あまり家に寄りつかない。

 

話は夫が妻の名前を間違えるところから始まるのだが、よく読むと、どうもこのふたりの「喪失」は病に始まったものではないらしい。

 

夫は、おそらく何よりもまず、学問を愛した。妻の父に挨拶に行った時には自分の学位論文について話し、新婚旅行先の海辺のバルコニーでは妻相手に海の話を続けたほどだったが、アメリカでは海洋学者の職は見つからなかった。国も学問も失くした。20年経って、ベトナム語教師の仕事も失った。諳んじることができた長文を徐々に忘れていき、買い集めてきた本を読めなくなり、今は本の背の文字を読み上げている。人の名前は、手のひらに書いたメモでしか覚えていられない。忘れたくないことや間違えてしまったことはノートに書き留めていたが、それも機能しなくなり、ついに妻の名前を間違え続けるようになった。

Now the professor’s memories were gradually stealing away from him, and along with them the long sentences he once favored.

 

妻は夫や子どもを愛した。夫がプレゼントしてくれる本を愛した。子どもたちが離れていき、夫が病で遠い存在になっていく。いろいろなことを忘れられた図書館の仕事も、介護のために辞めなければならない時期になった。

子どものひとりが交際相手と駆け落ちしたとき、強く言えなかったのは、自分たちが恋愛結婚ではなかったから。新婚旅行での学問の話は、夫が何を言っているのか、ついていけなかった。亡命の船から陸が見えて、いつも人前で口にしないような「愛してる」を思わず口にした時、夫は微笑んで、傾いた眼鏡を照れくそうに直すだけだった。

He touched the cover of each book with great care, tenderly, and she knew, not for the first time, that it wasn’t she who was the love of his life.

なんとなく、穿って見ると、夫の話を聴いてあげる、調子を合わせてあげる妻の様子は、認知症をきっかけに出てきたものじゃないように思える。胸がちくっとするような、わずかな噛み合わなさ、すれ違い、言葉のやりとりの不成立は、以前からずっとあったものではないか。

 

妻は夫のこと、とりわけ老いを表現するときに、本の比喩を使う(oldや数字を使わずに老いと愛着を表現してるのがすごい。古本屋の心地よいかび臭さなんて、若いカップルじゃ言えない)。

She found her husband redolent of well-worn paperbacks and threadbare carpet. It was a comforting mustiness, one that she associated with secondhand bookstores.

His fair skin was thin as paper and lined with blue veins.

 

本は、読み手が読まなければならないもの。難解なら、読み手ががんばって書き手に追いつこうとしないといけない。妻はすごくがんばろうとする。堪え続けた結果溢れてしまった思いが、食事のあと片づけの最中、落として散らかってしまった食器や食べのこしと重なるシーン。

She was carrying four plates, the tureen, and both their glasses when, at the kitchen’s threshold, the wobbling weight of her load became too much. The sound of silverware clattering on the tiled floor and the smash of porcelain breaking made the professor cry out from the dining room. “What’s that?” he shouted.
Mrs. Khanh stared at the remains of the tureen at her feet. Three uneaten green coins of bitter melon, stuffed with pork, lay sodden on the floor among the shards. “It’s nothing,” she said. “I’ll take care of it.”

 

それでも彼女は本を読む。名前を忘れられたなら、出会った頃のように最初から。はじめましてから。今日も明日も明後日も、最後のページまで読む。

She wondered what, if anything, she knew about love. Not much, perhaps, but enough to know that what she would do for him now she would do again tomorrow, and the next day, and the day after that. She would read out load, from the beginning. She would read with measured breath, to the very end. She would read as if every letter counted, page by page and word by word.

 

 

招待されて参列した結婚式で、バンドが演奏した曲、Lobo の I’d Love You to Want Me。「覚えてるかい?子どもが生まれる前、ふたりでよく聴いた曲だよ」と言って、実在するのかわからない女性の名前を口にする夫。曲のリリースと妊娠の時期が合わない、と反論する代わりに「そうね」と言った妻。

Now it took time for me to know
What you tried so not to show
Something in my soul just cried
I see the want in your blue eyes

Baby, I’d love you to want me
The way that I want you
The way that it should be
Babe, you’d love me to want you
The way that I want to
If you’d only let it be

 

 

 

Photo by Annie Spratt on Unsplash