はじめて考えるときのように

Date
3月, 22, 2018

著者:野矢茂樹
出版社:PHP研究所
発行日:2004年8月18日
形態:文庫

 

テレビドラマを見ながら母が言うこと。演技じゃなくて、ほんとに泣いてるひとっていうのはね、鼻水が出てるもんなのよ。

かたりくちがすきだ。

「論理と言うのは、前提と結論をつなぐ道筋の正しさにかかわっている。前提や結論がそれ自体として正しいか、まちがっているかということは、論理の持ち分じゃない」

大学の図書館は寒い。

「論理は考えないためにある」

目が乾く。

「思い込みを捨てて、与えられた情報の意味するところだけをきちんととらえていく。論理ってのはそういうもんだ」

目をこする。

「問題にとらえられて、「ヘレウーカ」の呼び声に耳を澄ます。そのとき、ある観察はぜんぜんきみの心に飛びこんでこないけれど、この観察は敏感になったきみの琴線に触れる。かすかな音がする。いける。いけるかもしれない。観察や論理は問題を解くときに欠かせない素材だ。だけど、それを問題に合わせて、捨てたり、選びとったりしていかなくちゃいけない。「ヘレウーカ」の声を待ちながらそんな作業を続けていく、それが「考える」ってことだ」

鼻の奥がつんとする。

「「考える」ってのは何したっていいんだ」

椅子のうえで正座。

「「非論理的な夢」って、どんな夢のことだろう。自分の家にいたはずなのにドアを開けるとジャングルだったとか、水をすくって飲んだら若返ったとか。いや、そんなのぜんぜん非論理的じゃない。単に非現実的で不自然ってだけだ。論理的な可能性なら、ぼくだって酒池肉林三昧だし、ブタだって気持ちよさそうに空を飛ぶ」

ああ、いいぐあいの水分。 うろこんたくと。

「ことばがなければ可能性はない」

「つめこんで、ゆさぶって、空っぽにする」

クールに踊れ、きみの場所で。
彼の「考える」とあたしの「つくる」がいっしょだった。

鼻水が止まらない。 最大級の賛辞である。