ゴンドラの唄

いのち短し 恋せよ乙女  
紅き唇 あせぬ間に  
熱き血潮の 冷えぬ間に  
明日の月日は ないものを 

 

町の病院に寄ってからジムに行こうと、薄く化粧をした。ジムに直行する日は、どうせ汗だくになるから日焼け止めだけ。町に出る日は気分に合わせて遊ぶ。

この日はファンデーションを塗る気にならなくて、ツヤの出る下地と部分的なコンシーラーだけにした。パールの入った粉をはたき、眉を描き、アイラインと口紅をひいた。チークを乗せなくても、頬にほのかな赤みがある。パールのおかげで悪くない。自分に向ける言葉としては珍しく、いいじゃんと思った。

 

いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰も 来ぬものを

 

最近、マシンの種類と回数を増やしたから、筋トレにはみっちり1時間かかる。それから30分ジョギングをして、風呂に入って帰る。いつものように、まずシャワーを浴びた。湯船に腰まで浸かって300秒、肩まで浸かって300秒、歌うように数えて上がった(自律神経にいい入り方らしい)。

体を拭いて下着をつけ、水を飲んでいたら、知らないおばさまに声をかけられた。

「サウナ入ってたん?」

プールで泳いでサウナコースの人だろう。私のトレーニング動線では見かけない。筋トレをして、走って、さっと行水しただけですよと答えると、

「そうなん!? 体じゅうが真っ赤できれいよ。」

と言われた。体をまじまじと見られる。

「若いっていいね。年とるとそうもいかんでね。今から運動習慣があるのはええことやわ。まあほんとにきれい。」

血のめぐりって美しさと結びつくの!? そこに目をつける人が現れたことも、たいそう褒めてくれることも新鮮で、うれしかった。

パウダールームに行き、鏡に体を映した。なるほど、言われてみればまんべんなく赤い。1年前は運動などしてなくて、じんましんやひっかき傷に悩み、全身を見ることもなかった。自分に向ける言葉としては珍しく、きれいだと思った。

 

いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 あせぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

 

 

 

 

 

黄昏カフェ

誘いを受けて、茶会に行ってきた。主催は、会ったことはないけど名前は知っていた人。やっていることはよくわからないけど、何か実験をしている人。会って話をしたら、互いの印象が似ていて笑った。

街の片隅の純喫茶に集まった、(ダンサー)(ライター)(出版社の人)(ピアニスト)(建築家)(舞台衣装家)(印刷業の人)(建築家)。初対面同士が多い。かっこ書きなのは、そろって自己紹介しにくい人たちだったからだ。便宜上の肩書きはもっているが、一般的なイメージとは使い方が少し違っている。「わかりやすい言葉でお伝え出来ないのはたいへん心苦しく、親切でないこともわかっているが、正対しようとするとどうしても都度、場や人に合わせて言葉を探すところから始めないといけない」感じ。相手に向き合おうとするがゆえに、自問から言葉の生成を始める。

自己紹介しにくい人の自己紹介は、場のスイッチがうまく入ると愉しい。場に合わなければ、最後まで微妙な空気が流れ続けるので怖い。博打みたい。今回は前者で、各々がどこかで「これ、話してもよさそう」と感じている気がする場だった。

具体的な事柄、日々注力している分野は異なっていたが、抽象度を上げれば、クリエイションという点でつながっていた。

私は、抽象的なところと具体的なところを高速で行き来してものを作るのが好きだ。具体的なもののおおもとにある抽象的なもの、表に対する裏や奥のシステムや考えや意図が主な関心。どちらかだけでなく、どちらも。

自己紹介が難しい。抽象的な好みの話をすると、頭でっかちで偉そうに見られることがある(そんな日に限って睡眠不足、アイラインきつめ)。抽象とセットでないと具体に興味を示さないのを、幼いと言われることもある(そんな日に限ってオーバーオール。考えなしに作られたものは本当にどうでもいい)。具体レベルでバラバラのA・B・Cに共通点を見つけて喜ぶのを、具体的なひとつの分野に長けてない、専門性がない、チャラいと言われることもある(初めてこの意味でチャラいと言われた時は新鮮だったけど)。特に今は便宜上の肩書きもない。

完全に初対面なこと、利害関係がないこと、この半年自分のウェブサイトを作ってきて「誤解されないように言葉を尽くそうとしてきたけど、誤解も何も、自分でもよくわからないからどう解釈されてもいい」という気持ちが強くなったことがよかったのか。主催者の手腕か。2時間の歓談の中で、持ち時間3分、年齢が若い順での自己紹介の時間がいちばん記憶に残った。鼻水をすすった(参照:あまちゃん)。

思考深まる秋の始まり。

 

 

利用したウェブサイト

WordArt(ワードクラウドジェネレーター)
https://wordart.com
フリーフォントの樹 刻ゴシックフォント
http://freefonts.jp/font-koku-go.html
Coolors(配色ジェネレーター)
https://coolors.co/

 

 

水銀の温度計

風邪をひきかけている。PMSと筋肉痛の体が、鉄分とたんぱく質を吸収するのを忘れ、ウイルスに熱を上げようとしている。

気温と気圧の低下で眩暈が起き、鼻づまりがひどくなり、喉が痛み出し、腕に鳥肌が立つようになった。
夕方、葛根湯をお湯で飲む。
足湯用のバケツにお湯を溜め、差し湯をしながら1時間浸かる。
沸いた血が、先ほど飲んだお湯を押し出す。
前腕に大きな玉の汗ができていくのをまじまじと見つめる(くらいしか、やることがない)。
足先が靴下の形に赤くなる。

結局熱いシャワーを浴びて、もう一度お湯を飲み、残ったお湯で雑炊を作り、腹に流し込んだ。

背筋を下りてきていた寒気が消えた。
頭から喉を通って腕に来ていた兆候が、鼻の根あたりの鼻づまりと、こめかみの鈍痛までに治まった。
下降が上昇に変わった。
体が、水銀の温度計になったみたいだ。

このままぐんぐん上がっていって、痛みを全部引っこ抜いてくれないか。
破裂して散った水銀は、ちゃんとガムテープで集めて捨てるから。

 

 

アイスバー、スライダー

ブログを始めて半年が経った。
観察、読み書き、創作、実験の場所。
7月から木曜日更新にして、リズムをつくっている。

記事が増えると、気に入りのものを玄関に置きたくなり、スライダーをつけることにした。
スライダーは、トップページの自動スライドショーのこと。
常々デザインに締まりが欲しかったし、芝生をでーんっと敷きつめたい気分だったしで、思い立ったが吉日。

秋風が蒸し暑さを運ぶ夜、アイスバーを食べながら作業した。
アイスバーを食べながら、スライダーをつくる。
アイスバー、スライダー。お、韻踏んでるな。

 

WordPressのdashboard
customizeのbuttonをポチ
うまく反映されない why
yeah アイスバー スライダー

え、あ、 なにこれ、あっそうか
version updateしなきゃじゃん
思えばlong timeしてないじゃん
yeah アイスバー スライダー

手動でやるって怖いなあ
backupをとっておこう
それとone more食べちゃおう
yeah アイスバー スライダー

うまくいったぜ party night
なんだ簡単 easyじゃん
こまめにアプデトしておくべきじゃん
アイスバー スライダー yeah

 

こんなふうに遊んでいると無敵になれる。
オフコース、敵がいたとしても相手にしてもらえないという意味も含め。yeah。

 

 

(祝)ぼく自身の歌

ある人の、ある定期イベントの告知をtwitterで見た。
開催場所、日時、イベントの名前、それと内容の説明が少し。

「ふーん」とならなかったのは、

【告知】開催場所 9月17日
(祝)イベントの名前~~
内容の説明~~~~~~~

と表示されていたからだ(よく覚えていないけどこんな感じ。日付は変えた)。
スマホのUIの関係か、「(祝)」の前に改行があり、「定期イベントの開催を自分で祝うのか。やけにめでたい人だな」と思った。

しばらくしてわけがわかった。祝日だ。

誰にも見られていないのに、恥ずかしい。
「見間違える君のほうがおめでたいよ」と努めて言葉を発し、落ち着こうとする。

 

ーーーーー

 

落ち着いた。

何かやるたびに自分で祝うって、すてきじゃない?
たとえそれが、毎日、ルーティーンに関してだとしても。

祝い、祝福で、ホイットマンの詩「ぼく自身の歌」を思い出した。
「自身」のためにうたっているが、個人主義ではない。
他者、国、自然、宇宙と合一していく、拡張していく自己だ。
愛、自由、平等へのたくましい讃歌。

 

ぼくはぼく自身をたたえ、ぼく自身をうたう、
ぼくが身につけるものは、君も身につけるがよい、
ぼくに属するいっさいの原子は同じく君にも属するのだから。

ぼくはぶらつき、魂を招く、
ぼくはのんびりともたれ、ぶらつき、夏草のとんがった葉を見つめる。

ぼくの舌、ぼくの血のあらゆる原子は、この土、この空気からできていて、
この地で親から生をうけ、親もまた、そのまた親も同様に生をうけ、
ぼくはいま37歳、申し分なく健康で、出発する、
死の時まで止むことのないように願いながら。

教義や学派はほうっておき、
そのままでよしとして、ただ記憶にとどめながら、しばらくは引き下がり、
ぼくはとにかくかくまってやる、危険をかえりみず語らせてやる、
本然の活力をもった融通無碍のわが本性に。

 

私が好きなのは、同じ『草の葉』に収められている、「結局、わたしは」だ。

 

結局、わたしは、いまだに子どもみたいなもの、自分の名前の響きが嬉しくて、何度となく繰り返してみるんだから。
他人の気持ちでそれを聴いても ― まったく飽きることがない。

あなたの名前だってそうですよ ―
名前の響きがいつも同じだなんて、思わないでしょうね?

 

自分につけられた音。
呼んで、呼ばれて、響く音楽。
今日も私の音が、あなたの音が、肉体と離れず、同じ宇宙にあることを祝福しよう。

 

 

SONG OF MYSELF.

1

I CELEBRATE myself, and sing myself,
And what I assume you shall assume,
For every atom belonging to me as good belongs to you.

I loafe and invite my soul,
I lean and loafe at my ease observing a spear of summer grass.

My tongue, every atom of my blood, form’d from this soil, this
air,
Born here of parents born here from parents the same, and their
parents the same,
I, now thirty-seven years old in perfect health begin,
Hoping to cease not till death.

Creeds and schools in abeyance,
Retiring back a while sufficed at what they are, but never forgotten,
I harbor for good or bad, I permit to speak at every hazard,
Nature without check with original energy.

 

WHAT AM I AFTER ALL.

WHAT am I after all but a child, pleas’d with the sound of my own
name? repeating it over and over;
I stand apart to hear—it never tires me.

To you your name also;
Did you think there was nothing but two or three pronunciations
in the sound of your name?

 

 

参考文献

亀井俊介・川本晧嗣編『アメリカ名詩選』、岩波書店、1993年。
ウォルト・ホイットマン『おれにはアメリカの歌声が聴こえる―草の葉(抄)』、光文社、2007年。

The Walt Whitman Archive
https://whitmanarchive.org/published/LG/1891/poems/27
https://whitmanarchive.org/published/LG/1891/poems/224