創造力はいかに定義され、教育されるか―『納得の構造』 読んだ内容のまとめ

渡辺雅子著 『納得の構造―日米初等教育に見る思考表現のスタイル』、書かれてある内容のまとめノート。

 

「納得の構造」とは、書く・語るなどものごとを理解する順番、つまりコミュニケーションの構造である。この本には、日米の小学5・6年生における作文教育、歴史教育、通知表を比較分析した結果がまとめられている。

出版は2004年。日米の他、2000年代にフランス、2018年現在はイランの研究を進めておられる。日米仏の研究論文は、オンラインで読むことができる( 『納得の構造』の抜粋も含む)。

「日・米・仏の国語教育を読み解く–「読み書き」の歴史社会学的考察」

本を読んだ上で考えたことは、長くなるので別記事へ。

創造力をいかに定義し、自己開発するか―『納得の構造』 読んで考えたことのまとめ

 

 

◆作文教育(いかに書くか)

基本の考え方
作文教育は、
日:共通の体験を通じて心の目を養うこと(p.80)
米:書く目的に応じた様式を選ぶ訓練(p.80)

手段
日:
「わたしの考え」「心に残った本」「わたしの調べたこと」などのテーマで、自由に書かせる(p.78)
気持ちが伝わるように詳しく状況を書く、という原則(p.77)
米:
自由であるためには、選択肢が必要。自由のために、教師は徹底的に規範を模倣させる(p.87)
エッセイと呼ばれる小論文と、クリエイティブライティングと呼ばれる創造的作文の二つの型を教える(p.50)
ものを書く時には書く目的があるように、それぞれの様式にも目的があると説明し、指導する(p.54)

説明や文章の順番
日:出来事を過去から順に説明する。時系列。主題を最後に置く傾向(p.11)
米:まず総括や一般主張を述べて、次に理由を述べる傾向。結果から過去に遡る。結論に対して最も直接的な原因のみを述べる(p.11)

評価
日:
教師は部分的によく書けているところを取り上げ、共感的な立場で評語を書く。作文の技術ではなく、児童の表現やそこに表れる気持ちへの共感を述べたコメントが多い(pp.75-76)
米:
エッセイは、作文の構造が守られているか。初めに、何を言うのか明らかにする。次に、主張を擁護する3つの証明か事実を列挙する。最後に、初めとは異なる言いまわしで主張を繰り返す。
クリエイティブライティングは、習った様式の中から選んで、作文の主題と書く目的に沿って、一貫性のある文章を書いているか。各様式独自の構成と表情を使いこなして、最終的にまとまりのある文章を書いているか(p.52)
アイデアがいかに独創的でも、様式にのっとって効果的に伝達できていない場合には、高い評価を受けられない(p.65)

教師が共有する、個性や創造力のイメージ
日:
のびのびとした自然な環境で、感動的な体験の中から育むもの。共感による指導と評価で育つ(p.89)
米:
個性や創造力を表現するアイデアや主張は個人の中に混沌としてある。それを明確に伝えるために、様式による訓練が必要(p.89)
児童がいかに豊富な様式の選択肢をもち、その中から臨機応変に書けるか(p.53)

個性と創造力の指導
日:
教師は「個性的に」「創造的に」とは言わない。個性発揮の方法が、作文技術よりも感情表現に向いている。同じ意見や感想が続いても、自分の言葉で表現すればよいとする。「個性的に」「創造的に」なるように温かく支援しながらも、創造力発揮の失敗については、それを指摘して訂正する叱咤激励がない(p.78)
米:
考えを十分に発展させながら、よりわかりやすく洗練された形にするために、教師が何度も書き直しを指導するが、これは個性や創造力を損なうものではないと考えられている(p.65)
教師は教室で「もっと創造的に」とよく口にする(p.69)

教育の歴史
日:
大正新教育運動に端を発する童心主義と、「綴り方」という学校作文の様式が、思ったままを素直に綴ることによって心の成長を表現する、現在の作文教育を方向づけた。変革の主導は、在野の教育者、児童文学者、現場の教師が担った(p.111)
米:
高等教育の大衆化と科学的枠組みによる説明の重視が、簡明で技術的なエッセイの構造を作り上げた。心理学・英文学・言語学などの大学教授が変革の主導権を握った(p.111)

多様性
日:
技術的習熟度がはっきりと表れない。内容も非常に似通っている(p.77)
似通う原因としては2つ。
①課題の問題:共通体験の思い出、成長の過程、気持ちの動きなどは、時系列の構造が書きやすい。
②作文目的の問題:「感じたまま」「自由」を意識するあまり、様々な文章の規範や書く技術を教えない。児童は、どう自由に書いたらいいのか、その手段がわからない(p.87)
子どもらしい気持ちの表現を追求するあまりに、文章様式の学習を排除して、態度・関心・意欲などの生活指導に重点が移っている(p.111)
米:
手段は「徹底的な形式の模倣」だが、結果は多様なものになる。構成や段落の数まで指定されるため、その中で個性を出すとすれば、形式ではなく内容、つまり主張自体の目新しさや根拠となる事実の選び方、あるいは両者の組み合わせで勝負するしかない(p.55)

 

◆歴史教育(いかに語るか)

「時間の流れ」と「因果関係」
日:
「何が」「どのように」
一連の出来事を初めから順に辿る、時系列連鎖の語り。一連の出来事の過程、様子、手段、背景に焦点を当てる(p.117)
米:
「何が」「なぜ」
結果から逆に連鎖を辿って原因を見つける。人間の意図や目的、行動に焦点を当てる(p.117)

手段
日:
共感を使って理解させ、記憶させる。出来事のつながりを理解させるために、まず歴史的な状況を説明し、次にその状況を身近に置き換えさせ、歴史上の人物がその状況下でどのように感じたか、想像させる(p.122)
わかりやすく、すべての子どもが興味をもてる授業(p.144)
米:
教師が「結果」と定めたある出来事の原因を、過去に遡って見つけさせる。時系列順に並べられた過去の出来事に関して、結果から振り返って原因を探す作業に時間を割く(p.132)

歴史を理解するうえで最も大切な能力
日:歴史上の人物に思いを馳せることができること(p.140)共感力(p.145)
米:分析する能力(p.140)

評価
日:児童の共感的な感想や感情表現を重視する(p.140)
米:児童に論文を書かせ、児童同士に批評させ、プロジェクトとしてまとめさせ、評点をつける(p.140)

教育の歴史
日:
共感的に教えていた時代、実証性よりも挿絵や想像図が重宝された時代、科学的に客観的な歴史を系統的に教える時代、高度成長期を経て、落ちこぼれや児童の無気力が初等教育でも問題になり、「児童の生活に即した」「面白みのある」「教師の教え込みによらない」「児童の内面からの理解」の重要性が強調され、再び共感による教育法に回帰していった(pp.143-144)
米:
もともと時系列で辿る説明だったが、1960年代から70年代にかけて、社会科教育の大改革が起こる。「個別の瑣末な知識はなくとも、物事の構造さえ理解できれば、他の社会現象にも応用可能だ」という考えで、知識のあり方が「情報を収集し暗記すること」から「基本構造を使って情報を選び再構成すること」へと大きく変わった(pp.147-148)
特定の価値観に囚われずに自前の判断を下す技術として、また議論の中から対立する相手との共通点を見出す方法として、分析的批判力を簡便な形式で教えることが、主に高等教育で試みられるようになった(p.149)
ただし、批判・分析力を養う訓練を行うかは、同じ教科書を使っていても学校によって差がある。初等教育から実施しているのは、経済的・社会的に裕福な地域。階層との関係を抜きには語れない(p.150)

 

◆通知表

評価の対象
日:
学校生活すべてにおける、関心・意欲・態度(p.141&159)
内面的な発達と態度が重要(p.167)
米:
試験の成績中心。行動として現れる、観察可能な事柄。
感情や態度の評価に消極的な理由は、
①意欲や関心に点をつけることへのためらい
②価値観の多様性への配慮
③教育と教化の線引き。教育は個人の自由な選択と可能性をひらくのに対し、教化はそれらを制限すること。態度や感情の評価は、特定の態度や価値観を強要する危険性が高く、説得や強制で教化につながってしまうと考える(p.167)

教育の目標
日:
教育基本法で、教育の目標に「人格の完成」を掲げる。心的な目標。時に、「自主性」と「協調性」など、方向性の異なる重点目標が共存する。達成手段の優先順位がつけられないため、目標と行動を因果関係として把握しにくい(p.175)
米:
明確で具体的な目標(p.175)
教育は選択の幅を広げるが、どのように選択し決断するかは、あくまで個人の自由意志に任されるべきとの、「公教育」と「個人」の境界線がある。ゆえに、目標として掲げ、評価する領域を「認知」に限定している。子どもの感情や人格形成の発達といった全人的な教育目標は採用していない(p.169)

 

 

<参考文献>
渡辺雅子『納得の構造―日米初等教育に見る思考表現のスタイル』、東洋館出版社、2004年。

 

 

Flamboyantly 自信をもって、大胆に

いつも大切なことを教え、気づかせ、思い出させてくれる友人へ。文章は本来、誰か一人に届けば、あるいは過去や未来の自分に届けば充分だとあらためて思った。燦燦と進むんだ。

 

 

flamboyant

(of a person or their behaviour) tending to attract attention because of their exuberance, confidence, and stylishness.

人や態度が、あふれるエネルギー、自信、かっこよさゆえに目をひくこと

ORIGIN: mid 19 cent.: from French, literally ‘flaming, blazing’, present participle of flamboyer, from flambe ‘a flame’.

フランス語 flambe「炎」や flamboyer「燃えるように輝く」に由来する

 

 

ページをめくると、‘Do it flamboyantly’ とあった。音で、フランス語由来だと当てた。飾り気のない ‘Do it’ に、‘flamboyantly’ が紅をさす。美しい炎。気がつけば、コーヒーを飲みほすまで見とれていた。慌てて支度を始める。

 

昔から、比喩表現が好きだった。直訳と実際の意味に飛躍があるといい。たとえば ‘have butterflies in one’s stomach’(お腹の中で蝶が羽ばたいている)は、「そわそわして落ち着かない」の意味。辞書で見つけた時、たちまち蝶が現れて、私のお腹に入り込み、鼓動を急かした。あるイメージに魅了されると、保温マグさながら、昼夜興奮が冷めない。

 

同期入社のみきは、見るからに血のめぐりがいい。止まっているより、動いている。風を切って走る。軽快、快活、活発。彼女だけ、重力のかかり具合が弱いのかもしれない。英語が堪能。留学経験あり。見ている世界が広く、考え方まで筋肉質。

 

会社で働くとは、言葉を覚えて使えるようになること。会社員として言葉を覚え、使い方に慣れ、何を口にして、口にすべきでないかを知った。説明と説得の腕を磨いた。消化されやすいように噛み砕いた言葉を、よどみなく饒舌に発するたび、言葉と体が私のものではないように感じて、黙りたくなった。

 

彼女は海外向きで、私はそもそも組織向きではないと、私たちは早い時期に気づいていた。もしかしたら、新しいものをつかめるかもしれない。期待とは裏腹に、仕事に精を出すほど、社内のキャリアに限界を感じた。手持ちの言葉を組み替えて、解を見つけようとした。別々の部署で、同じような悩みを抱え、似たような逃げに走ろうとした。いつも踏みとどまった。外に出るのが怖かった。互いが互いの中に、自分を見ていた。相手の後押しもできず、くすぶっていた。

 

入社して6年。ひょんなきっかけで、私が先に出た。もっと言葉を探究しようと決めた。それから2年、彼女も出て、海外で働くと決めた。

 

セーターが似合う季節。編み目に太陽を透かした、彼女を見送る日。出かけに見つけた、‘flamboyantly’  の話をした。組織を出たら、好きだった感覚が戻ってきたんだよと。彼女は、単語を繰り返し発音して、「ああ」と言った。やわらかくほほえんで、「じゅんこらしいね」と続けた。

 

「ねえ、‘flamboyantly’ にがんばろうよ」

「それはいいね」

 

別れるまでの道で、初めてツーショット写真を撮った。初めて化粧品の話題で盛り上がった。ツヤの出る、化粧下地の話。日に焼けた、化粧っ気のない彼女の頬を見ながら、内心、わざわざ仕込まなくても人は光を放つと思っていた。ふたりで「女友だちって感じだね」と笑った。

 

私たちをがんじがらめにする言葉、体裁を繕う言葉、嘘、理不尽な言葉、偉い人たちの言葉、キーワード、キラーセンテンス、若者だから、女性だからと押しつけられたアドバイス、コピーアンドペーストでむやみに増殖していく流行り言葉、機嫌をとるための言葉。評価、褒められた時の言葉、寄りかかっていた言葉。そんな言葉でいっぱいの、用語集代わりに使ってきたノートを、たき火に薪をくべるように、ゆっくりと破って燃やした。

 

新しいノートに ‘flamboyantly’ と書いて、私たちは歩き始めた。燦燦と進むのだ。

 

 

協力

絵 ふない ななこ

写真 Y

 

 

まちの教室KLASS「積読本をひらく読書会」で考えたこと

言葉は意図して使えば自分を動かす力になるけど、油断するとがんじがらめの原因にもなる。「積読」という言葉を、ほっけの干物並みにほろほろほぐした読書会の話。

 

冷蔵庫に食べものが入っている。買った理由はさまざまだ。体によいと聞いたから。食わず嫌いを克服しようと決めたから。新作が出ると試すから。慣れ親しんだ味だから。旬だから。安くてお得に見えたから。がんばったごほうびにしようとか、好きだけどやめなくちゃ、これで最後にしようとか。

食べものは、じきに食べられる。あとまわしになったものは、消費期限や腐敗を目印に捨てられる。いずれにせよ、入ってきたものは出ていく。

本棚には本がある。こちらも買った理由はさまざまだ。不運にも冷蔵庫の食べものと違うのは、読まずにいた本がなくならず、増えていくことだ。多くの人にとって、「読んでいないこと自体」の後ろめたさが、部屋と頭に影を落とす。腐らないから、本は週末にでもまた増える。後ろめたさも膨らむ。

幸運にも冷蔵庫の食べものと違うのは、増え続けるからこそ、「買った理由」と「読まない理由」がそれぞれの本に残り、時間をかけて発酵し、物語に変わりうることだ。「買った理由」「読まない理由」は、自分や他者の世界にふれようとする手段になる。そう教えてくれる場所があった。

 

本を読んで来ない読書会

3月下旬、桜満開の陽気、東京 千駄木、まちの教室KLASS。設計事務所HAGI STUDIOが「地元の人を先生に」とつくったイベントスペースで、「積読本をひらく読書会」が開催された。読書会といっても、本を読んで来なくていいし(むしろ読んで来ちゃだめ)、集まった人たちで読み始めるわけでもない。やや奇妙にも聞こえるが、「読んでない本について、読んでない人たちと話す」場である。

参加者は3名。「積読びらき」の手順は次のとおり:

1 自己紹介。名前、住んでいるところ、「今朝、何を見ながらこの場所へ来たか」
2 持ってきた「自分の積読本」を隣の人に渡す。もう一方の隣の人から本を受けとる。
3 手にした「隣の人の積読本」を触る、眺める、観察する、読む、メモする。
4   「自分の積読本」について、「買った理由」と「読んでない理由」を話す。
5 隣の人が、その本を観察した結果や感じたことを話す。
6 場の流れで自由に話したあと、2から5のくりかえし。

私が話の場に出したのは2冊。買ったのも、読まないでいたのも、持っていこうと選んだのも私なので、すぐに話せると思っていたが、意外にその場で思い出すこと、他の人たちの話で気づくことがあって驚いた。

 

リルケ『マルテの日記』

買った理由

「観察」を深めたいと思っていた時に、本屋で見つけた。リルケは知っていたので、手にしてぱらぱらとめくったら、「僕はぽつぽつ見ることから学んでゆくつもりだ。僕はほんとうの最初の一歩を踏み出すのだ。どうもまだうまくはゆかぬ。しかし、できるだけ、極度に時間を利用して、やってみたいと考えている」という文があり、読みたいと思った。

読んでない理由

観察の前段階の勉強を優先しているため。タイミングが来れば絶対に読むので、手元にあれば大丈夫という気持ち。

隣の人の話

「国、時代的に、”遠くの存在”の作家だ」と言っていた。「そういえば最近読んでなかったジャンル」とも。

 

増田幸弘+集『不自由な自由 自由な不自由 チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイン』

買った理由

デザイン会社で、コンセプトの言語化や関係者への共有がなくても見た目のいいロゴやパンフレットが生まれるのを見た頃。「デザインの見た目は手段。思想や問題解決への姿勢が根底にあるべきでは?」と考えていた時に、ちょうど本屋のデザインの棚で、帯に共感したため。

読んでない理由

同じ考えの人がいるのだ、という心強さがすでにある。出会った時点で半分以上の目的を達成している気がしている。読むのをあせってはいない。

隣の人の話

「表紙と裏表紙に仕掛けがある」「帯のメッセージ、私も気になる」「読んでみたい」

 

3冊目は帰り際に紹介だけ。この理由で買って、この理由で読んでない女(30歳)というのもなかなかレアなんじゃないかと思って。

ウォルフガング・ロッツ『スパイのためのハンドブック』

買った理由

スパイに憧れたため。特に観察眼。

読んでない理由

スパイ適正診断のページで、スパイに向いてないという結果に真面目に落ち込んだため。

 

他のふたりの時間でも、「知人に薦められたが、難しくて読めなかった」という「あるある」の話から、「もったいなくて読めない。読むのはごほうび。いつにしようかな」という「ごほうびチョコ」みたいな話まで、買った理由、読まないでいる理由が本の数だけあった。ある人が苦手に感じるジャンルを、他の人が好きだったり、スリップが「購入後に読まないでいた証拠」に思えて笑い合ったり、別々に持ち寄った本なのに、テーマが響きあっていたりした。「読んでない」から始まる読書会は、興味深くて、愉快だった。

 

積読、読み終わらなくてもいいじゃん

帰り道、ウェブライティングで使っていたツールで、「積読」「積ん読」のSEOキーワードを調べた。共起する単語は、解消、アプリ、管理、消化、本棚、心理、増える、減らす、捨てる、断捨離、ストレス、すすめ、病気、メリット……など。いい文脈ではないのだろう、多くの人が管理や処分に困っているんだろう、現実を打破したくて買った本なのに、読めずに蓄積していくことがストレスになるんだろう、と想像していると、あれ?私にはこんな罪悪感がないぞ?と気がついた。

「読みたい。でもいろいろあって読めない。読めていない本だらけでストレスだ」よりは、「読みたい。読むぞ!読んでない本がこんなにたくさんある!」と、買った時の温度を維持できている。なぜ?と考えてさらに気がついた。そういえば、私は本を読み終わることがあまりない。

読んでない本は、読んでないこと自体でもちろん積読本だ。でも、私の読書は、一度読んだところで積読リストを出ない。難しい本は、はなから一度で理解できると思っていない。楽しい本は、だいたい二度三度、それ以上おいしい。「できるようになること」が目的の本は、身につくまでがゴール。一度目を通しても、筋トレのフォームは正しいかな、このレシピはまだ覚えてないとか、あれこれ課題が出てくる。自分の血肉になるまでは、「わかった」と言えない。くりかえしやってみて、そろそろ覚えた、「わかった」と言う頃には、存命の著者ならもう「次」に行っている。その「次」を読みながら、「わかった」と思った本を読み返すと、世界観や細部に新たに気づくことがあって、「まだまだだ」と感じ、「わかった」を飲みこむ。

私はたぶん、いつまでも「わかった」と言えない本、読み終わらない本に魅了されるのだ。だから、一読うんぬんが問題でない。くりかえし読むには堪えない、「読み終わった」と言える本、どうしても「わかった」と言えてしまう本を手にすることもあるが、「今の私にとってのはずれが、いつかの誰かにとってのあたりかも」と思えばなんだか楽しい。

読むことは手段だ。願いをかなえる手段はあまたあるのだから、本を読まないといって、非難されるべきではない。本を読まなくても、別の方法で、世界を読んで、考えて、生きていける。

読むことが自分の手段なら、積読本の山を眺めて途方に暮れるのではなくて、身近な一冊から楽しく登り始めればいい。あまりに気がうせる山なら、かの「手にとって、ときめくか」という魔法の呪文で、読む本を決めればいい。「積読」という言葉をほぐしてくれる、「積読本をひらく読書会」もおすすめだ。

 

主催者 舟之川聖子さんのウェブサイト ひととび http://hitotobi.strikingly.com/

まちの教室 KLASS http://klass.hagiso.jp/