水銀の温度計

風邪をひきかけている。PMSと筋肉痛の体が、鉄分とたんぱく質を吸収するのを忘れ、ウイルスに熱を上げようとしている。

気温と気圧の低下で眩暈が起き、鼻づまりがひどくなり、喉が痛み出し、腕に鳥肌が立つようになった。
夕方、葛根湯をお湯で飲む。
足湯用のバケツにお湯を溜め、差し湯をしながら1時間浸かる。
沸いた血が、先ほど飲んだお湯を押し出す。
前腕に大きな玉の汗ができていくのをまじまじと見つめる(くらいしか、やることがない)。
足先が靴下の形に赤くなる。

結局熱いシャワーを浴びて、もう一度お湯を飲み、残ったお湯で雑炊を作り、腹に流し込んだ。

背筋を下りてきていた寒気が消えた。
頭から喉を通って腕に来ていた兆候が、鼻の根あたりの鼻づまりと、こめかみの鈍痛までに治まった。
下降が上昇に変わった。
体が、水銀の温度計になったみたいだ。

このままぐんぐん上がっていって、痛みを全部引っこ抜いてくれないか。
破裂して散った水銀は、ちゃんとガムテープで集めて捨てるから。

 

 

アイスバー、スライダー

ブログを始めて半年が経った。
観察、読み書き、創作、実験の場所。
7月から木曜日更新にして、リズムをつくっている。

記事が増えると、気に入りのものを玄関に置きたくなり、スライダーをつけることにした。
スライダーは、トップページの自動スライドショーのこと。
常々デザインに締まりが欲しかったし、芝生をでーんっと敷きつめたい気分だったしで、思い立ったが吉日。

秋風が蒸し暑さを運ぶ夜、アイスバーを食べながら作業した。
アイスバーを食べながら、スライダーをつくる。
アイスバー、スライダー。お、韻踏んでるな。

 

WordPressのdashboard
customizeのbuttonをポチ
うまく反映されない why
yeah アイスバー スライダー

え、あ、 なにこれ、あっそうか
version updateしなきゃじゃん
思えばlong timeしてないじゃん
yeah アイスバー スライダー

手動でやるって怖いなあ
backupをとっておこう
それとone more食べちゃおう
yeah アイスバー スライダー

うまくいったぜ party night
なんだ簡単 easyじゃん
こまめにアプデトしておくべきじゃん
アイスバー スライダー yeah

 

こんなふうに遊んでいると無敵になれる。
オフコース、敵がいたとしても相手にしてもらえないという意味も含め。yeah。

 

 

(祝)ぼく自身の歌

ある人の、ある定期イベントの告知をtwitterで見た。
開催場所、日時、イベントの名前、それと内容の説明が少し。

「ふーん」とならなかったのは、

【告知】開催場所 9月17日
(祝)イベントの名前~~
内容の説明~~~~~~~

と表示されていたからだ(よく覚えていないけどこんな感じ。日付は変えた)。
スマホのUIの関係か、「(祝)」の前に改行があり、「定期イベントの開催を自分で祝うのか。やけにめでたい人だな」と思った。

しばらくしてわけがわかった。祝日だ。

誰にも見られていないのに、恥ずかしい。
「見間違える君のほうがおめでたいよ」と努めて言葉を発し、落ち着こうとする。

 

ーーーーー

 

落ち着いた。

何かやるたびに自分で祝うって、すてきじゃない?
たとえそれが、毎日、ルーティーンに関してだとしても。

祝い、祝福で、ホイットマンの詩「ぼく自身の歌」を思い出した。
「自身」のためにうたっているが、個人主義ではない。
他者、国、自然、宇宙と合一していく、拡張していく自己だ。
愛、自由、平等へのたくましい讃歌。

 

ぼくはぼく自身をたたえ、ぼく自身をうたう、
ぼくが身につけるものは、君も身につけるがよい、
ぼくに属するいっさいの原子は同じく君にも属するのだから。

ぼくはぶらつき、魂を招く、
ぼくはのんびりともたれ、ぶらつき、夏草のとんがった葉を見つめる。

ぼくの舌、ぼくの血のあらゆる原子は、この土、この空気からできていて、
この地で親から生をうけ、親もまた、そのまた親も同様に生をうけ、
ぼくはいま37歳、申し分なく健康で、出発する、
死の時まで止むことのないように願いながら。

教義や学派はほうっておき、
そのままでよしとして、ただ記憶にとどめながら、しばらくは引き下がり、
ぼくはとにかくかくまってやる、危険をかえりみず語らせてやる、
本然の活力をもった融通無碍のわが本性に。

 

私が好きなのは、同じ『草の葉』に収められている、「結局、わたしは」だ。

 

結局、わたしは、いまだに子どもみたいなもの、自分の名前の響きが嬉しくて、何度となく繰り返してみるんだから。
他人の気持ちでそれを聴いても ― まったく飽きることがない。

あなたの名前だってそうですよ ―
名前の響きがいつも同じだなんて、思わないでしょうね?

 

自分につけられた音。
呼んで、呼ばれて、響く音楽。
今日も私の音が、あなたの音が、肉体と離れず、同じ宇宙にあることを祝福しよう。

 

 

SONG OF MYSELF.

1

I CELEBRATE myself, and sing myself,
And what I assume you shall assume,
For every atom belonging to me as good belongs to you.

I loafe and invite my soul,
I lean and loafe at my ease observing a spear of summer grass.

My tongue, every atom of my blood, form’d from this soil, this
air,
Born here of parents born here from parents the same, and their
parents the same,
I, now thirty-seven years old in perfect health begin,
Hoping to cease not till death.

Creeds and schools in abeyance,
Retiring back a while sufficed at what they are, but never forgotten,
I harbor for good or bad, I permit to speak at every hazard,
Nature without check with original energy.

 

WHAT AM I AFTER ALL.

WHAT am I after all but a child, pleas’d with the sound of my own
name? repeating it over and over;
I stand apart to hear—it never tires me.

To you your name also;
Did you think there was nothing but two or three pronunciations
in the sound of your name?

 

 

参考文献

亀井俊介・川本晧嗣編『アメリカ名詩選』、岩波書店、1993年。
ウォルト・ホイットマン『おれにはアメリカの歌声が聴こえる―草の葉(抄)』、光文社、2007年。

The Walt Whitman Archive
https://whitmanarchive.org/published/LG/1891/poems/27
https://whitmanarchive.org/published/LG/1891/poems/224

 

 

差分の肉付け、立ち上がる本

あの日、あの時、あの場所で、君に会えなかったら、僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま、だったかな。私はどのみち恋に落ちていただろうから、現れるのはもっと早い時間でもよかったよ。

 

寝る前に、ログをつけている。EDiTの、1日1ページのB6ダイアリーに、箇条書きで記していく。その日にやったこと、訪れた場所、食べたもの、買ったもの、体調、良くも悪くも心が動いたこと。淡々とした、気軽なログブック。まれに書かない日もあるが、それは白い日という記録だ。

2018年9月5日、水曜日。いつものように机に向かい、カランダッシュのボールペンをもって書く。初めの黒丸をぐりぐりしている間に、1日のできごとを思い出す。

 

●岸本葉子「エッセイの書き方」を読了。
「エッセイ脳」の改題。
思っていたよりもテクニカル。

●穂村弘のエッセイ。おなかいっぱい。

●筋肉痛がひどい。肩。

●夕食の肉、焼くなら切り身よりもかたまりを。縮んでわびしい。

 

書き終えて読み返すと、なんかおかしい気がした。あ、そうか、と、かぎかっこを二重かぎかっこに改める。

 

●岸本葉子『エッセイの書き方』を読了。
『エッセイ脳』の改題。

 

かぎかっこで本に見えなかったものが、二重かぎかっこで本にしか見えなくなった。いつこのページを開いても、瞬時に本だとわかる。

わかりやすさのための慣習的なルールがあり、習ったのだから、わかりやすいと感じられて当然だ。当然なのだが、一度忘れるまで、肉付けを経てみるまで、私は実感として知らなかった。差分の肉付けで、かっこをふくよかにするだけで、文字の羅列を本だと、わかりやすく認識できるようになる。記号、すごい。おもしろい。

おかげですっかり目が覚めてしまった。そして入りこんでいく、かぎかっこ、クォーテーションマークの世界……。さすが英語のWikipedia、読みごたえたっぷり……。積ん読ならぬ、積んタブが増えていく……。いつ寝るんだ?

 

 

レモンゼリー・カミングス

詩人のカミングスごっこと、「すくう」の話。

 

すくう:手のひらやさじなど、くぼんだ形のものを使って、液状・粉末状のものの表面に近い部分を、えぐるようにして取り出す。また、手のひらやさじなどで、液体の表面に浮いているものやその中にあるものを、下から受けるようにして取り出す。

 

レモン汁に水と砂糖を加えて温める。
ふりかけたゼラチンが溶けて粗熱が取れるまで、待つ。
カップに注ぎ、気泡をすくい、冷やす。

ゼリーをすくう。
表面がスプーンに抵抗する。
力少々を加えて突き刺す。
えぐりとる。

昨日は液体だったもの。
弾力に触れて気づく、「すくう」が内包する痛み。
水、蜂蜜、アイスクリーム、すくうとき、元の場所からの断絶がある。

 

 

「掬う(すくう)」と「救う」は同じ語源をもつらしい。

命を救うとき、たとえば手術室、医者はメスで患者の体を切り開く。
たとえば川、溺れる子の手を大人がつかみ、指が食い込むくらいの強い力で引き戻す。

地球や世界や人の心に「救う」があてられるとき。
救う人が救われる人を助け、存在を丸ごと包みこみ、傷つけないように抱きしめるようなイメージをもっていた。
これ、違うかもしれないな。
温和に見えて、平和に見えて、実は見えない刃物が存在をえぐる瞬間がある。
そのうえそれで救われるものは、ひとすくい、表面や部分に過ぎない。すべてじゃない。