創造力をいかに定義し、自己開発するか―『納得の構造』 読んで考えたことのまとめ

『納得の構造―日米初等教育に見る思考表現のスタイル』を読んで、これまでの人生で考えてきたことと、次の目標についてまとめた。

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創造力はいかに定義され、教育されるか―『納得の構造』 読んだ内容のまとめ

 

『納得の構造―日米初等教育に見る思考表現のスタイル』に、日本の初等教育では、とりわけ「共感」が重視されると書かれていた。

日本の歴史教育、作文教育では、いずれも「共感」が「手段」である。歴史の授業では、知識を理解し記憶するために、共感を利用する。アメリカのように、歴史教材を使って分析力をつける教育もうらやましいと思うが、日本式の、時系列・出来事・人物を物語のようになぞり、記憶していくのも悪くない。過去の出来事である以上、一定の答えが存在するからだ。児童に記憶させるために、おもしろい、記憶に残るような授業や方策の工夫がされている。

もやもやしたのは作文の授業だ。共感を手段にして、共感的な人格をつくる。ある出来事に対して、「子どもらしい」「人間らしい」感情があり、それらを身につけ、文章にする訓練を行う。同じような感情しか持ちえない課題で、同じような感情を抱くに行きつかせる。言葉は自由に書いてよいのだが、術を習っていないから、似たような言葉しか出てこない。それでも、素直な言語表現とみなされて、褒めてもらえる。褒められれば、児童はそれでよい、そうあるべきと思ってしまう。ここでは、皆同じように子どもらしく、人間らしい感情をもち表現することが、個性や創造性とされる。

じきに学校を卒業して、大人になる。皆同じように大人らしく、人間らしい感情をもち表現することが、個性や創造性とされるだろうか。社会、会社で求められているのは、「皆と同じように」の逆ではないか。著者は、「規範の模倣から生まれる多様性と、選択肢なき自由から導かれる類似性」という、それぞれアメリカと日本の初等教育におけるパラドックスを指摘している。私は、日本が人々に提示する「個性や創造性の定義」が、初等教育後、大学や就労のタイミングで変化することを指摘したい。つまり国が教育で使う定義と、人々が社会・経済活動で使う定義に乖離がある。定義する人が違うのでそりゃ乖離する、とも言えるが、定義を適用され、評価を受けるのは一貫してひとりの人間である。普通に生きていて、あるところで価値基準がいきなり変わり、順応を強いられ、評価されるのだからたまらない。

私の話だ。

小学生時代が、求められる一般的な感情の解や文字、作文のルールを覚える期間だったとすれば、中学生時代は、アメリカ式のライティングをかじった時期だった。英語のスピーチライティングがきっかけで、エッセイや物語の構造、主張と理由の書き方、ユーモアや比喩でふくらませるやり方を個別に教わった。毎日要提出の連絡帳には、英語の日記を書き、英語の教師に添削してもらった。自分で書いてみると、日本語と英語で物事の見方が違うんだとよくわかった。見方が違い、切り取り方が違うと、表現が違った。素朴な表現を場に合わせて変えることは、メイクや服を変えるみたいで楽しかった。同じ感情を抱き、素直に書き、結果が似たような顔の文章よりも、「見方×切り取り方×表現」で表情が変わる文章のほうが、つきあっていて居心地がよかった。

「見方×切り取り方×表現」のうち、見方・切り取り方の部分で、どうにも人に伝わらないことがあった。「ぐふふ♥」と感じることが、心を動かされるポイントが、なんか人と違った。「私はそう感じるんだから仕方ない」とは思っていたものの、相手が混乱したり、不審に思ったりする気持ちも理解できた。共感するにも、何が何だかわからないのは怖い。あれこれ試してみて、論理性・構造・型を使うと、相手を混乱させにくくなると知った。だから型があるんだと合点がいった。型があると、相手がわざわざ初めから情報を整理しなくてもいい。考える道筋を意識すると、人に伝わるようになった。部分的に、あえて逸脱することもできるようになった。「見方×切り取り方×表現+論理性」が、私が何かをつくること、創造性の定義になった。何かをつくることの積み重ねが個性だと考えた。

高校に入ると、受験勉強ばかりになった。同じような感情を、(結果的に)同じように書く練習をした時期を経て、そもそも書かなくなる時期が来たのだ。英語のクラスで、長文を書くことなんてめったになかった(都会のエリート校ならあるかもしれないが、少なくとも田舎にはなかった)。数行の英作文しか書かなかった。国語の授業では、古文・漢文に時間を割くようになり、現代文の読み書きの比率が小さくなった。小論文試験の対策で、初めてアメリカ式のエッセイの型のようなものが教材に出てきたが、志望校に科目がなければ取り組まない。小論文が嫌で、小論文試験がない学校に絞る人もいた。堅牢な型の小論文すら、書かない人のほうが多いのである。クリエイティブライティングのような、ふわふわっとしたイメージが先行する書きものの時間など、入る余地がない。実は「表現の選択肢を増やすための型」なのだが、必要とされていない。

書かない環境が不思議だったので、地下活動的に実験をしていた。「見方×切り取り方×表現+論理性」の公式で文章を書き、大人のところに持って行ったり、全国規模のコンクールに出したりした。創造性の公式でものを作り続けられるのかの実験と、それが社会に通用するのかの検証と、改良のためのフィードバックが、サイクルとしてうまくまわるようにした。活動の結果、「この公式、たぶん大事にせんといけんやつや」と結論づけた。

小中高と書いていたから、求められる個性と創造性の定義が大学で大きく変わったこと、周りの同年代の人たちが動揺し始めたことには敏感だった。たとえ似通ったものでも表現を褒められ、強化されていたのが、急に違いを求められ始めた。アメリカ式は、そもそも人間はお互いに違う、違うままでしかありえないという考えのもと、存在が肯定されていて、技術としての型を与えられる。日本では、別々の人間なのに、初めは同じようになるようプログラムされ、そのあと違うようになれと要求される。存在の変容を強いてくる。意味の変わった「個性的に」「創造的に」のスローガンに、事前アナウンスも、技術の教育もない。

話が難しくなるのは、就活・研修・配属先・仕事で、「個性・創造性」+「協調性」という矛盾する項目が、同等の優先順位で求められることである。求められる「個性的に」「創造的に」の実現方法がわからず、とまどい、悩む。何か奇抜な策を打つと、協調性がないと叱られる。「これだから若手は」とか「ゆとりだから」と世代論が始まる。両方を達成しようとしても中途半端になり、どちらか一方を優先させても非難を浴びる。何を目指して、何をどうがんばればいいのか。考えられることは考え、やれることはやり、そのうえで手詰まりになるのだ。かといって「社会ってそんなもんだ」と諦めたくもないのだ。人事部にいて、数百人の新人や若手社員と関わった。混乱の根っこが似ていたと思う。スマートに打破できた人、ボロボロになってやっとどうにかできた人、結局諦めた人、考えないようにしている人、退社した人、病んだ人、いろいろいた。

個性・創造性の定義の、ひそやかな、急激な変更は暴力的だ。教育に関わる人たち、経済に関わる人たち、両者は明言を避けながらも、静かに、確実に各々の定義を各々のシステムに組み込み、運用を続けている(個人で尽力されている人たちもいる。ここで言いたいのは組織的な、無意識的な、もっと大きな話だ)。

次世代、子どもへの教育をどう変えていくかの議論はもちろん重要だが、その議論を行う、すでに学校を出てしまった私(たち)が何を目指し、どうすればいいのかを考えるのも必要だ。私は共感重視、矛盾を含む目標、ゆえに物事の結果が出ず進まない、どこか不穏な空気の社会の中で、残りの時間、どう言葉を扱い、発言していくか、個をつくっていくか、人と関わっていくかをもっと考えたい。私が個をつくってきた創造性の履歴はいつも書き言葉だった。今は次の手がかりを考えるために、いろいろな国・文化・分野・型の文章を読むことと、真似して書いてみること、新しい型の研究開発を進めているところだ。まだまだ実験は続く。いつか何かしらの形にできたらいいなと思っている。

 

<参考文献>
渡辺雅子『納得の構造―日米初等教育に見る思考表現のスタイル』、東洋館出版社、2004年。